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2021/3/14

世界には様々な食文化があれど、命に感謝して、命を繋ぐ為に命を食べるのと、命を散々弄んだ挙句に命を奪うのとでは違うと僕は思いますよ……。

だから美味しくなるという理由で「殴り続けた後」に犬を食べるという韓国の文化を僕は受け付けない。※現在はどうなのかは僕は知らない。無くなったのかもしれないし、そうする人としない人が居るのかもしれない。

「可哀想だからクジラを食うな」
言いたい事はわかるが、牛や豚は良いのか?それは命に差をつけているのではないか?そんなこと言いだしたら植物だって生きているだろう。感情が見えなければいいのか?「貴方達がしている動物を食べる食文化は可哀想だから、虫を食べる様にしてください」と言われたら従うのか?食文化が違うのに?

結局、命を食べている事に変わりないだろ。


僕は別に菜食主義者ではない。
肉や魚や野菜を食べて今まで生きてきた。生きていてしんどい時もあったけど、何とか今まで生きてこれたから物語を読んだり、音楽を聞いたり、創作活動が出来ている。命を食べて命を繋ぐ。命に感謝するから手を合わせて「いただきます」「ごちそうさま」を言うんだと思う。

肉だろうが魚だろうが野菜だろうが命には変わりない。「可哀想」や「意識高い」で菜食主義者になる考えを僕は否定する気はない。他者に「考え」を無理やり押し付けたり、過度な迷惑を掛けていないならその人が思う生き方をすればいい。


どちらが優れていると優劣つけようとするだけ不毛だ。命を食べて命を繋いでいる事を誰だって忘れてはいけない。



「ウルフズレイン」って作品で狼達に倒されたセイウチが、「私は犠牲になるのではない。お前達を助けるのだ」と言って狼達のお腹を満たす話がある。

食べ物に感謝して命を命で繋いで「糧」にするのと、ただ相手を苦しめたくて虐げたあげく喰らい「犠牲」にするのとでは雲泥の差があると僕は思う。