俺の人生の振返り 1-2



さて、そんなこんなで10才になった時である。


「おい、乗れ」


と軽トラックに乗るように親父に促された。


どこに連れていかれるんだろう・・・と思いつつ、軽トラックに乗り込む。


北へ北へと進路を取る・・・・あれ?級友の居る地区から離れたぞ?
どこに行くんだ???


目的地に辿り着き、軽トラックから降りた俺がみたのは
平屋建ての建物だった、そこに看板でこう書いてあった。


「日本空手協会 畑松館道場」(仮名)


「今日からお前はここに通うんだ、いいな」


親父のいう事に否やは言えない。

言う事聞かないヤツは置いていく!・・と山道で降ろされて本当に置いてけぼりにされそうだったし
激昂して、工具で頭殴られ、頭カチ割られ事もあったので、選択権が当時の自分にはなかった。

週3回、月謝は3000円。

今から思うと、破格の月謝だし、道場と自宅を往復して送迎するお袋も大変だったと思うが
こちらもキツイ面も有った。


この当時は、ビデオデッキが無い時代なので、空手の稽古と
好きなアニメの日がバッティングして観れないのが一つ。

そして技の稽古、突きや蹴りまあ、いいとして
一番意味が分からなかったのが、型だった。


昇級するのに当然型も必須不可欠だが、「これで自分より大きな相手に勝てるとは思えない」
としか思えなかった。


「こんなんやっても・・・・喧嘩には勝てないなあ・・・」

と思った。


ただ、道場という非日常的空間はそれなりに面白く、鍛錬道具に使う六尺棒や
サンドバッグ、木刀(師範が合気道の教えていたので)など、自宅ではまずお目にかかれない
珍しいものばかり。

当然悪戯心が働いて、ふざけて振り回して、師範や師範代の雷が落ちて
壁に向かって正座を良くさせられた。

巻き藁の代用品である、ベニヤ板か何かににサポーターを付けたもの有ったりして
「これ折ったら面白そうだなあ」と思って、阿保みたいに突きこんで遊ぶなど
まあ、空手の稽古より、半分ふざけに行っていた面もあったので、嫌々半分、少し
面白いが混じり合った経験だったと思う。


中学2年まで続け、黒帯まで何とか取得した。

これで、自信が深まれば良かったのだが、世の中そううまくはいかないのねえ・・・。

自分としては「ただ、空手をやった」という経験に過ぎない
認識しか結局持てなかったのである。


というのも、中学時代は、ビーバップハイスクールや湘南暴走族が流行していた時代なので
周りではヤンキーが増えてきて、それなりに殴り合いの喧嘩とかも経験した。


でも、喧嘩慣れしている奴が強かったし、体格のデカイ相手に
技が通用するとは思えなかった。


そして、高校。


高校時代は(進学校だけど)オラついている人が増えて
やはり苦痛だった。


中学と高校を通して体育会系の部活に入り、スポーツで結果を残したかったが、
それも出来なかった。


幼年期と同じいじめられっ子としてここでも周りと関わることが殆ど。
    
ここでも、親は相変わらず助けてくれない

「お前のものの言い方がキツイからだ、他人がオブラートに包むことをお前はストレートに言う」

「出来ないお前が悪い、出来ないヤツはものを言う資格が無い」

今じゃ相撲部屋のかわいがりだって問題になるご時勢なのにね、時代だなぁ・・・。


青春?何それ、俺の中では灰色の時代が続いていたよ。

好きな女子にもフラれたりしてさ、あ、でも、高校時代はそれなりに
楽しい面もあったから、全くキツイだけってこともないか。

とにかく、18歳まではそんな感じだった。


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