「点が線となるとき」
自分がやっていることに自信が持てないとき、ありますよね。
自分がやっていることに意味を見いだせないとき、ありますよね。
淡々と無情に時間だけが流れていって、心は置いてけぼり。
悶々としながらも納得するだけの答えが出せずに、精神はすり減って。
例えるなら、山登りのような。
登る前にはゴール(頂上)がしっかりと見えていたのに、麓に立って歩きだすと生い茂る木々に遮られて、この先どれだけ歩けばいいのか分からなくなるような不安。焦り。
ただ山登りと違うのは不安と焦りの先に、確かなゴール(頂上)があるか分からないこと。
人生は暗中模索。
暗闇の中、その先に何があるかも分からない不安と焦りを抱えながら、それでも進むしかない。
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僕の体験談を少しだけ。全然大した話じゃないのだけれど。
僕はnoteとは別に仕事(病院のお仕事)についてのブログを書いています。
去年から始めて、記事を投稿していました。
しかし、4月末の投稿を最後に記事が書けなくなってしまいました。
書けなくなった最たる理由は、「自分らしい記事に仕上げられない」というものでした。
ブログは、読み手のことを考えて、客観的な事実を決して間違えずに正しく分かりやすく伝える、そのように記事を仕上げる。そういった考えがありました。
そんな考えがあったせいか、いつしか記事を書くことに疲れてしまったのかもしれません。
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ブログを書けなくなると、かえってnoteを書くことが楽しくなりました。
自分の考えを、想いを書ける。
そこには客観的な事実を決して間違えずに正しくわかりやすく伝える、なんてルールは存在しないからです。
書きたいことを、書きたいように書く。
自分が書きたいことを書いて、(少しだけど)スキやコメントを貰える。
この事実が新鮮でした。ブログでは感じることができなかった体験でした。
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でも、先日ふと思ったのです。
「ブログも書きたいように書けばいいんじゃない?」って。
僕が仕事を通した学んだこと、経験したことを書けばいいんじゃない? それは、必ずしも正確な情報ではないかもしれないし、間違っているかもしれない。でも、読み手が求めている情報って読み手自身の知らない言葉や経験であって、参考書に書いてあることではないのかもしれない。
noteで書いていたように、自分の書きたいことを、自分がどう思ったのかをブログにも書こう。アッチにはアッチのルール、コッチにはコッチのルールなんて存在しないのかもしれない。ただの僕の思い込み。先入観であって。
そして、先日約1ヶ月半ぶりにブログに記事を投稿しました。
久しぶりの投稿なのに今までよりも多くのPV(ページビュー)数がついて、Twitterにコメントもいただけました。
そして何より、記事を書いていて、とても楽しかったのです。
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人間って、弱いから。
明確な意志や決断で進む方向を決めても、時間が経つとその選択に迷いが生じることがあります。
迷うことは決して悪いことではありません。
迷うってことは、考える機会に立てたってことです。
この先に僕の目指すゴールが本当にあるのかな、って考える機会に。
僕は、ブログから離れてnoteで記事を投稿するようになりました。
でも、その結果見えなかった視点、先入観に囚われていたことに気づけました。「ブログ」という“点”と「note」という“点”が「書きたいように書く」という“線”で結ばれました。
人間って、弱いから、迷う。
迷うってことは、それだけ真剣に向き合っているということ。
それまでの道のりは点となって、またいつしか別の点と線で結ばれるかもしれません。(結ばれないこともあるかもしれないけれど)
だから、全部が全部、無意味なことじゃないよ。って伝えたい。
その不安も焦りも無意味じゃないよ。きっと。
今は見えないかもしれないけれど、この先のどこかで結びつくことがあるから。無数の点を残していこう。無駄なことなんて何ひとつないよ。
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。