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竈門炭治郎と緋村剣心

「鬼滅の刃」では、鬼舞辻無惨が絶対的な悪者で、それに対して竈門炭治郎がまだ未熟ながらも絶対的な主人公として描かれています。
この「絶対的」というのがなかなか曲者で、両者の共通項でもあるからこそ、最後に鬼舞辻無惨は炭治郎と合体(?)しようとします。

若い時はがむしゃらに頑張ることが正義とされ、早いうちから思慮深く行動しているとなぜか批判されることもあります。
個人的には、両方兼ね備えてたら素晴らしくて、がむしゃらに頑張ることが「できない」というのは確かに良くはないかなと思ってはいます。

「るろうに剣心」の主人公・緋村剣心は、志々雄真との対決を終えた後、弥彦に「俺たちは正しいよな?勝ったんだから」的なことを言われると、「勝ったから正しいは、志々雄真と同じ発想でござるよ」的な返しをします。
若い頃に抜刀斎として、絶対的な正義を信じてがむしゃらに頑張って、でも失敗してしまったからこその言葉かもしれませんが、このへんが若い炭治郎との差なのかなと思ったり、でも鬼殺隊の柱みんなぶっ飛んでるし。

簡単に「絶対」という言葉を使うと、良くないなと思うので気を付けてます。

ちなみに、僕が人生で一番影響を受けた漫画は「ジャングルの王者ターちゃん」です。

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