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時代性を選ぶ時代

『シンギュラリティー/技術的特異点』という言葉があります。
提唱したのは、レイ・カーツワイル博士で、当初の定義は「10万円のコンピューターの演算能力が人間の脳の100億倍になる」というものでした。
10万円という金額は一種の比喩なので、『パソコンが』と言い換えてもいいでしょう。

ともかく、身近なコンピューティング・システムが人間の能力をはるかに超えていく、という推測でした。
そういう意味では、「もう、そうなってる」とも言えますよね。
今やわたしたちは、ネットを介して生成AIを気軽に使えるようになっているからです。


ただし、それらは最先端の状況で、日常生活にはあまり大きな変化は見られません。
最近のわたしの関心はそのことです。
たとえば、ラガード(最後まで新しい技術に手を出さない人)層の増加とか。


半世紀ほど前、昭和の時代には3C(クーラー、カラーテレビ、カー)があこがれの対象でした。
それらはそれらで最先端技術だったわけで、ほとんどの人がその欲望を共有していました。

しかし、ことAIやメタバースに関しては、それらを積極的に使いたい人がけして多くはない感じです。
善い悪いではなく、先端技術があまりに日常生活とかけ離れてしまったからでしょうか?
「お金があったら、宇宙にいける」なんてのも、そうですね。

それを『格差』と呼ぶ人もいますが、わたしはもっと穏やかに単なる『違い』のような気もしています。
最先端=幸せではないので 😊
アーミッシュのような、18世紀的な生活にあこがれる人も出てくるのではないでしょうか。

それぞれの人が、それぞれの時代性を選択する時代ですね。


そろっていることは美しく、違っていることはおもしろい

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