スペイン語こばなし(7): "materia" は男性? 女性?

«Materia»: ¿masculino o femenino?



今日は El País の記事から。3か月も前の話だが、スペイン軍の部隊に対し、ある靴の製造企業が最新技術を用いて開発した靴を寄付した、という話。

Del materia regalado hay 432 pares de botas de PVC y caucho nitrilo, completamente impermeables y resistentes a hidrocarburos […].

«訳»
寄贈品の中には、ポリ塩化ビニルとニトリルゴムで製造された、炭化水素の浸透を完全防止する耐久性を持った靴が432足ある。 [1]

ここで注意したいのは、"Del materia regalado" という部分だが、せっかくなので例をもう一つ。こちらは、未曾有の感染症に対して各自治体がどのような対策を練っているか、という記事から。

Diputación de Alicante: En el materia presupuestaria se está estudiando la reprogramación del presupuesto para 2020.

«訳»
アリカンテ県議会: 予算関連の分野においては、2020年予算の再編成を検討中。 [2]

さて、何かがおかしいことにお気づきだろうか。


タイトルにも挙げた通り、ポイントは "materia" という語。2番目の例では、男性冠詞と女性形容詞が付いてしまっており、これは明らかに誤りである。一方、初めの例では冠詞も形容詞も男性形に揃っている。

ところが、"materia" を辞書で引いてみると、

ma・te・ria (女)
  1  物質, 物体.
  2  材料, 材質; 素材.
  3  事柄; 題材, 分野.
  4【医】〔話〕膿(うみ).
  5  教科, 科目.   [3]

とあり、この単語は女性名詞。権威ある Real Academia の辞書でも、

materia
[…]
1. f. Realidad espacial y perceptible por los sentidos de la que están hechas las cosas que nos rodean y que, con la energía, constituye el mundo físico.
[…]

«訳»
1  (女) 我々の周囲にある諸物を形成し、エネルギーをもって物理世界を更生する、現実空間に実在し、感覚的に認識し得る存在。 [4]

と、女性名詞であることが明記されている (ここでは省略したが、すべての語義に "f." と付いている)。

つまり、materia は「-a で終わる女性名詞」というありふれた語の一つに過ぎないのだ。従って、男性・女性ごちゃ混ぜの2番目の例だけでなく、"el material regalado" とした1番目の例も誤りである。


面白いことに、この "materia" という語の「性別ミス」は、この2つの記事に限ったことではない。google news の検索機能で、スペイン大手新聞5社のウェブニュース (今年3〜5月) を簡易的に調べてみると、同様のミスが11件見つかった。内訳は次の通りだ。

El País: (全体) 246, (冠詞誤り) 1
El Mundo: (全体) 218, (冠詞誤り) 2
ABC.es: (全体) 238, (冠詞誤り) 1
La Vanguardia: (全体) 647, (冠詞誤り) 7
El Periódico: (全体) 124, (冠詞誤り) 0
——
合計: (全体) 1473, (冠詞誤り) 11

※ (全体) として示したのは、1度でも "(冠詞)+materia" という形が用いられた記事の総数。 (冠詞誤り) の値は、このうち、男性冠詞と "materia" を用いた例が見られた記事の数。
※ 検索方法等は [注a] 参照。

1473記事の内の11と聞くと、さほど多くないと思われるかもしれない。しかし、例えば "materia" と似た日常語の "memoria" では、同じ条件でも冠詞の誤りはたった1記事でしか見られない。"miseria" に至っては0である。

この点を踏まえると、校正もされるであろうニュース記事において、約1%の割合で「誤った」冠詞が付けられる "materia" という語には、何か特別な事情があるのだろうと考えられる。それでは、その事情とは何なのだろうか。


まず考えられるのは、"material" という語の存在である。この語は形容詞として使われることも多いが、名詞としては、

material
[…]
− (男)
  1〔主に複数で〕材料, 素材, 資材.
  2〔集合的〕用具, 器具機材, 機械一式.
  3  (なめし)革.   [5]

という意味の男性名詞だ。前にあげた "materia" と比較すると、どちらも「素材・材料」を指す一方で、「用具・器具」などの意味は "material" にのみ存在することが分かる。

"materia" に男性冠詞をつけてしまうケースでは、この "material" との混同があるのではないだろうか。例えば、冒頭にあげた最初の文例は、

Del materia regalado hay 432 pares de botas de PVC y caucho nitrilo, completamente impermeables y resistentes a hidrocarburos […].

«訳»
寄贈品の中には、ポリ塩化ビニルとニトリルゴムで製造された、炭化水素の浸透を完全防止する耐久性を持った靴が432足ある。

となっている。「寄贈品」である靴は、「素材」ではなく「器具」なので、本来は "material" とすべきところだろう。


ただ、この「material 混同説」では説明できない例もある。具体的には、 "materia" を「分野・事柄」という意味で (この意味は "material" にはない) 用いているにもかかわらず、冠詞が誤っているケースだ。冒頭で示した2番目の文例は、

Diputación de Alicante: En el materia presupuestaria se está estudiando la reprogramación del presupuesto para 2020.

«訳»
アリカンテ県議会: 予算関連の分野においては、2020年予算の再編成を検討中。

であり、このケースの一例といえる。

ここからは全くの想像に過ぎないが、このような事例には "tema" という語の存在が影響しているのではないだろうか。名詞の性についての授業でまず習う通り、"tema" は「-a で終わる男性名詞」の代表格である。

"clima", "tema", "problema" など「-a で終わる男性名詞」の多くは、ギリシャ語の中性名詞に起源を持ち、概して科学的・技術的な専門語である[6]。一方、"materia" はラテン語由来の単語 (後述) であり、本来はこのルールには当てはまらない。


しかし、語源を紐解いてみると、"materia" は「専門語」として発展してきた単語であることが分かる。Diccionario etimológico castellano では "madera" (木材) という語の解説として、

MADERA, 1220-50. Del lat. MATĔRĬA ‘madera de árbol’, ‘madera de construcción’, […]. Por vía culta: materia, 1220-50 […].

«訳»
MADERA, 1220-50年初出. ラテン語の MATĔRĬA (木材・建材) から. 教養語として materia, 1220-50 年初出.  [7]

とある。

つまり、"madera" というスペイン語の起源は、ラテン語の "matĕrĭa (木材・建材)" という語なのだ。当時の人々にとって「木材」は日常頻繁に使う語だったのだろう。一般に、音の変化は頻繁に使われる語に起こりやすい。

一方、教養高い人々 (学者・聖職者など) の間では、日常的な「木材」という意味でなく、より専門的な「素材」という意味でこの単語を用いることもあった。彼らは、ラテン語本来の "matĕrĭa" という音を知っていたので、あえて教養高いラテン語の音・綴りでこの語を用いたのだ。

こうして、"madera (木材)" と "materia (素材)" という、同じラテン語単語から派生した2つの語が並立することになったのである。従って、"materia" の方は、教養的な「専門語」の性格を帯びた語だと言えるだろう。

このように考えると、"materia" が「専門語」の "tema" などと同様に「-a で終わる男性名詞」と混同されるのも無理はないと言えるだろう。是非一度、この記者の方に真相を伺ってみたいものだ。


上で紹介したように、"materia" の「性別ミス」率は1%弱に過ぎない。しかし、これはあくまでも新聞サイトにおける割合だ。個人のサイトや SNS など、より多様な人が書き手となる情報媒体では、この割合はさらに高くなるかもしれない。

そのような媒体で、同様の「性別ミス」を見かけることがあれば、"material" 説、"tema" 説、あるいはその他の理由、どの原因による誤りなのかを検討してみると面白いかもしれない。

もちろん、最も重要なのは「人の振り見て我が振り直せ」。同じミスをしないよう、単語の暗記を怠らないことである。



参考文献
※ウェブ文献の閲覧は全て2020年6月23日。引用部中の強調・改行は一部改変。付した訳は拙訳。

[1] La Vanguardia. 2020, 25 Mar. “Panter dona más de 1.300 pares de botas a la UME frente al coronavirus”.〔リンク
[2] López Herrera, Carmen. 2020, 5 May. “El papel de las entidades locales ante la pandemia”. El País〔リンク〕.
[3] Materia. 2007. In 西和中辞典 (電子辞書). 小学館.
[4] Materia. 2019. In Diccionario de la lengua española (Online). Real Academia Española〔リンク〕.
[5] Material. 2007. In 西和中辞典 (電子辞書). 小学館.
[6] Butt, John. & Benjamin, Carmen. 1994. A New Reference Grammar of Modern Spanish (2 ed.). Edward Arnold, pp.10-11.
[7] Madera. 1973[1987]. In Breve diccionario etimológico de la lengua castellana (Joan Corominas, Ed.; 3 ed.). Grados, p.372.


[a] 検索には、ソース指定、期間指定、OR検索、完全一致 (" "の使用) を利用した (これ以外の機能は利用していない)。また、簡易的に調べるため、*"el materia" (del …, al … を含む), *"los materias", "la materia", "las materias" のみがカウントの対象である。このため、数値・割合はあくまで参考程度。一度に表示される検索結果の数については、経験上、300件あたりから全結果が表示されなくなるので、この数を超えないように期間を区切り、後から合算した。


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