鎧だと思っていたことが武器になる

コンプレックスに思っていることほど、常に意識してしまう。
他人から見れば大した事ないことでも、自分にとっては大問題なのである。
その解消のために努力してきたことが、いつの間にか自分の武器になることってあるんじゃないか、と最近思う。

実体験からひとつ、マンガからひとつエピソードを上げてみる。

・漢字が読めないことを馬鹿にされた小2の僕
小学2年生の頃、隣の家に住む1歳下の男の子Tくんとよく遊んでいた。
Tくんは当時僕が持っていなかったゲームキューブを持っていたので、放課後は家にお邪魔してスマブラをひたすらやっていたのだが、ある日Tくんの母親に、「試しにこれやってみてくれない?」と家にあった進研ゼミの課題を渡された。
その課題は漢字の問題だったのだが、とある漢字の読み問題が僕には解けなかった。
するとTくんの母親は「2年生なのにこんなのもわからないの?」と僕に言い放った。
僕はとても恥ずかしくなり、何も言えなくなってしまった。

それ以来、僕は「間違ってはいけない」ということに異常にこだわるようになった気がする。
テストでは100点を取らなければいけない。
手をあげて発言するときは、絶対に正解しなければいけない。少しでも不安なら、手を上げない。
恥をかくくらいなら、何もしない方が良い。
「間違っている」ことは恥ずかしいことなのだと、強烈な体験として刻み付けられた。

・うずまきナルトの「影分身の術」
マンガ「NARUTO」の主人公うずまきナルトは、忍術学校の落ちこぼれで、卒業試験の分身の術を失敗し不合格となってしまう。
そこで試験に合格するため、ナルトは危険な忍術が書かれた巻物を盗み出し、激しい修行の末巻物の中に書かれていた忍術「影分身の術」を習得する。

ナルトには両親がおらず、学校でも落ちこぼれで「誰にも認められない」事がコンプレックスだ。
卒業試験に合格して、忍者として認められるためには多少の無茶や盗みもいとわない(盗んだのはミズキに唆されたからだけど)。

という事で2つのエピソードを出してみた。
コンプレックスは、その後の人生の原動力になることもある。
よく聞く話じゃねーか!と書きながら自分にツッコんでしまったけど、あらためて文章でまとめるとはっきり自覚できて良いね。自分ごととして理解しないと身に付かないもんな。

ちなみにその後僕は中3までに漢検2級を取得している。
書類の誤字を見つけるのが得意になった。たぶん校閲の仕事とかめちゃくちゃ向いている。

ナルトは最も苦手だったはずの分身の術が自分の最大の武器となり、ナルトの戦い方の基本戦術になる。

まあこういう事も人生には、あるいは人間にはあるんだろうという気付きを書きとめてみた。

ちなみに、この気付きの元になった記事があるので添付しておく。

乃木坂46の元メンバー、橋本奈々未さんについての論評だが、個人の性質について鋭く考察していてかなり面白い。
人のことを知るにはこういう見方をしていくのかと、とても勉強させてもらった記事である。

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