科学の学び方と科学技術史

 千と千尋と神隠しと愛しさとせつなさと心強さと白井です。

 長い。しかも一部古い。

 今回からは、熱力学について、私が勉強する中で調べた、その発展の歴史的背景についてお話していこうと思います。ただその前に、これを調べて私が思ったことを共有したいと思います。

●科学技術史を学ぶ意義

 私は、科学技術全般について、それらの歴史的順序で学んでいくことは、大きくは反対です。何故なら、それは非常に効率が悪く、とても今後の科学技術の発展に貢献できる知識が身につかないからです。

 だから、例えば力学は、初めから相対性理論を織り込んで話をするべきだし、電気磁気学はマクスウェル方程式と、それによる電磁波の予言に至るまでの経緯を先に大筋を紹介してから、それらの詳細を話すべきだと考えています。

 しかし、全くその歴史的経緯無しで理解しようとしても、それは無理だと思います。何故なら、その歴史は人間がある物事を発見し、それを納得して受け入れてきた経緯そのものだからです。

 なので、これらは分けて学べばいいと思います。そういう意味で、科学技術の歴史は、理論を納得して受け入れるためのツールとして、もっと活用されるべきだと思います。

 このことはまた、別のシリーズで、だらだらと書き綴っていこうと思います。

●熱力学と原子論・分子論

 さて、熱力学については特に、歴史的経緯を知らないと、どのようにしてそれらの発想に至ったのかが分かりにくいのです。そのことをお話しします。

 われわれは物理学を学ぶ時、たいていは「ニュートン力学」から入って、そのアナロジーで、熱力学の前に「気体分子運動論」をやります。つまり、原子や分子の存在はもう当たり前のものとして、

「熱とは、分子の運動エネルギなのである」

という予備知識を持って、熱力学に入るのが常套手段です。

 しかし良く考えてみれば、熱力学とは「古典物理学」なのであり、実は「物質の原子・分子論」以前の内容なのです。だから、気体分子運動論に代表されるような、統計力学的な立場からすると、無駄な部分や、大雑把すぎる把握というのもあります。

 ただ、それは分子の運動を前提としない立場で見ると、その現象を説明するのに実用的なものとなっています。

●熱力学前史

 まず「熱力学」と呼べる最初の考察は、1660年、ロバート・ボイルの空気ポンプの研究に始まります。そこで彼は、気体の体積と圧力の関係を示す「ボイルの法則」を発見します。

 1742年には、アンデルス・セルシウスが、一定の気圧下で水の沸点が一定になる事を発見します。そこで、氷点と沸点の間を100度に分けることを提案して、現在の「セ氏温度目盛」を作ります。

 羅列になりますが、1762年、ヨセフ・ブラックが氷の融解熱を、1764年に水蒸気の凝縮に伴う発熱を測定します。そして、「蒸発熱」「融解熱」などの「潜熱」の考え方を発表します。

 このことは、ジェームス・ワットに大きな影響を与え、1765年、炭坑で使われていたニューコメンの「蒸気力排水機」を改良して、「蒸気機関」を発明します。そこから熱機関の理論、いわゆる「熱力学」が活発に議論されることになります。

●熱と温度の歴史

 では、この頃「熱」とは何かと考えられていたかを見ていきます。

 熱力学の議論が活発になる以前は、アリストテレスの「火、空気、水、土」という四代元素論から引き継いだ、「熱素(カロリック)説」が支配的でした。すなわち、「熱の正体は、熱を発生させる熱素であり、熱い物質はより多くの熱素を含んでいる」という考え方です。

 ちなみに燃焼に関しても、「燃素(フロジストン)説」が広く受け入れられていたようです。しかし1772年、フランスの化学者アントワーヌ・ラボアジェが、

「物質の燃焼は、酸素との結合の化学反応である」

として「燃素説」を否定しました。

 一方、熱の正体に関しては、「ロシアの科学の父」と呼ばれたミハイル・ロモノソフ(1711-65)が、

「熱は物体内の微粒子の回転運動によるものである」

として、当時わかっていた一連の熱現象を説明しました。しかし、実験的な確証が足りずに受け入れられませんでした。

 さらに1789年には、燃素説を否定したラボアジェが、

「熱は質量の無い化学元素である」

という考え方を発表しています。これによって、熱素説に軍配が挙がったかに見えました。

 ところが1798年、アメリカ出身の軍人であり、物理学者でもあるランフォード伯が、ミュンヘンの兵器工場で大砲の砲身を中ぐり加工する際、刃物や切削屑だけでなく、材料も多量の熱を持つこと、いわゆる「摩擦熱」の考察を行います。

 もし熱素説が正しいとすると、削った材料は熱素を失っており、熱を持つのはおかしいと考えます。これは熱素説では説明できないと考え、

「熱の本質は運動にある」

という考えを示します。

 しかし、科学の歴史をご存じであれば、

物質の究極的な構成要素である原子・分子の探求は、もっと昔から行われていたはずのに何故?

と思われる方もいると思います。

 次回は、その原子論・分子論に触れてみたいと思います。

 胃が悪い時に飲むやつみたいですね。それはパンシロン。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?