「お行儀よく」

【お行儀よく】

私たちは幼い頃から、お行儀よくしていなさい!悪いことをすると鬼が来るよ!と教わってきました。

また感情的になってしまったり、心赴くままに行動すると、鍛え方が足りないと躾をされてきました。

自分の感情をありのままに感じることが出来なくなると、そこで生命のバグが生じます。

例えば、毒を食べて苦い!と思ったら吐き出さないと死んでしまうのに、「苦いと感じてはいけない!美味しいと感じて飲み込まなければ!」と自分に言い聞かせて飲み込み、死んでしまうようにです。

私たちは知らぬ間に、世間や親の言う事を心身で受け取り、それを自分の生きる構えにしてきました。

怒ったり、反対したり、感情的になってはいけないという事を、叩き込まれてきたので、そうなると罪悪感を感じてしまいます。
しかし叩き込んだ側にとっては、子供がそうあってくれれば都合が良かったのです。

自分の意見を言わずに、感情的にならずに、反対せずにいてくれると、親は子供をとても管理しやすいのです。

これは統治したい権力者からしても同じことが言えます。

その為に、意見を言うことに対して、罪悪感を持たせるように躾けます。

「そんな事を言うのは良い子ではありません」

「泣く子は悪い子です」

「言う事を聞かない悪い子の所には鬼がくるよ」と。

しかし本音は、私の言う事を聞きなさい。私の都合に合わせなさい。と言う事なのです。

自分の本音は隠して、相手を悪者に仕立て上げ、言うことを聞かなければ、お仕置きとして鬼がやってくるぞ!と脅すのです。

これは隠された暴力、隠ぺいされた暴力、モラルハラスメントの典型的な例です。

これでは、子供は恐怖でしかなく、自分の感情を肯定する事が出来ず、最後には自分の想いも分からなくなってしまいます。

そして、大人なり、自分に対して理不尽な事が起きても、それに対して怒りをもったり悲しくなったりするのは、鍛え方が足りないからだとして自分を律します。

本当は、嫌なものは嫌とコミュニケーションによって伝えた方が、根本的な関係性は良くなるのにも関わらず、自分自身を否定します。

また自分自身に素直に行動している人に対して、イラつきを感じます。

それは自分がしたかったのに出来なかったら事に対するイラつきから生じ、そのイラつきを相手のせいにするのです。

確かに感情に執着してしまうと実際に物事はうまくいきません。

しかし、自分の意見を表現できなければ、コミュニケーションは出来ません。

なので、その意見は自分の感情が出発点であって良いのですが、感情に執着してはいけないのです。

自分の感情に素直になり、しかし執着せずに他者とコミュニケーションをしていく事、それが大切で、それはパートナーとの関係性、友人との関係性、社会との関係性、政治的場面においても基礎になる部分だと感じています。

しかし、上記で言ったモラルハラスメントのように、自分の都合だけを考え、相手を悪者に仕立て上げ、罪悪感を持たせ、相手をコントロールするようなメッセージを隠した表現は、隠ぺいされた暴力であり、これは悪質なコミュニケーションです。

またそれは舌打ちや、強くドアを閉める行動、目つき、相手への態度としても表現できますので、気をつけなければいけません。

私たちは、自分の感情を信じる事から初め、自分自身の内なる声を聞き、それでいて感情に執着する事なくコミュニケーションをしていくことで、バグのない正常な関係性を築いていけるのです。

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