缶詰のチェリー
ノアの時代
生き残ることを赦されたのは ノアの一家だけだった。
それほど 人心は荒れ、神をも恐れぬ所業が繰り返されていたということだ。
現在
世界で 国内で 多くの人たちが 押しつぶされそうなしんどさの中で
生きている。
病気が蔓延し 経済は疲弊し、収税は給与の半分、子供は生まれず、
老いた者や弱者は捨てゆかれる。
少なくなった若者は結婚に憧れることなく、日々をあふれる情報に
振りまわされて 今日一日の衣食に費やす。
ノアの時代と どこが違うというのだろう。
まもなく世界は生まれ変わる。
新しい次元に行くのだ。
そう告げる者も後を絶たない。
一縷の希望だとしても 見出さなければ 今日一日を生きる元気も賄えない。
そんな世界が ノアの時代と何が違うというのだろう。
音楽に逃げる。
ゲームに逃げる。
遊びに逃げる。
思索にさえ逃げる。
多くの欲に溺れながら。
満たされぬ思いを埋めるために。
どこを間違ったのだ?
何をミスったのだ?
今日と同じように ささやかな幸せを求めていただけなのに。
現代の人に 足りないものは 何なのだろう?
100年前の、1000年前のひとが持っていたもの。
当時の暮らしに実体験はない。
たぶん・・・
ただ少しだけ 足ることを知っていただけ。
評価を求めすぎず 日々を送れることに感謝していただけ。
貰うことより あげられることの喜びを噛みしめていただけ。
便利さと引き換えに たいせつな何かを忘れていった。
ごめんって言っておく。
今日は こんな日。
しゅわしゅわのメロンソーダ 好きだよ。
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