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母校と月とリストラーズ

母校。

この言葉に 郷愁を感じるひとは どのくらいいるのだろう。


リストラーズ最新動画で 母校で歌われた動画の3曲目がアップされた。
かれらにとって 旧東工大は 掛け替えのない場所、時間、空間であることは間違いない。



校名が変更されることをキッカケに 海外赴任中だった草野リーダーの帰国に合わせて 構内での撮影を計画し、その後 「涙のリクエスト」「B面 涙のリクエスト 」「B面 涙のリクエスト振り付け研修」「ハリケーン」に続き、「君といつまでも」と、実に5回目の動画制作となっている。

特に 「涙のリクエスト」は、初のプレミア配信を決行し、さらにB面には
メイキング版と言えるようなNG集も含まれ 丁寧なキャプションや 凝った
コメントが付けられて編集されたものが出されたり、全曲通しの振り付けを教える内容の動画まで出されている。

このチカラの入れようをみれば
かれらが出会い、
かれらが挑戦し、
かれらを育て、
かれらが生き、
かれらが悩んだ
「青春そのもの」が かの大学に詰めこまれ、大学抜きでは彼らを語れないほどの思い入れの強い場所なのだと改めて感じる。


単なる卒業校でなく このような思い出を持てるひと達は 本当に幸せ者だ。


いったん社会に出れば 損得抜きで繋がれる仲間を持つのは なかなかに難しい。社会人になってから作れる友人もいるが 学生時代の友人仲間は その
密度や思い出が破格に違うのではないだろうか。

学生時代は、親の職業や経済力、社会的地位、出身地、顔の美醜、スタイルや 勉強の出来不出来は 社会人になってからほどの影響は持たない。
もちろん 多少はあるだろうが ほとんどの場合 仲良くなるかどうかは そこに大きくは左右されない。

だが いっぽうで 学校でいじめに遭ったり 進んだ大学や学部が合わなかったり、事情があって停学や退学になったり そこまでいかなくとも 大した思い出を作れないまま母校をあとにするひと達もいる。

近年だと 例の世界的騒ぎ中 マスクのせいで 級友の素顔を見ることなく 卒業したひともいるかもしれない。

そんな特殊な事情がなくとも 母校に対して 愛着や郷愁でなく、ツライことしか思い出せないひとも 一定数は いるはずだ。

こういうことを思ってみれば かれらが6人そろって 母校に対して 深い愛情と 郷愁を持ったまま、今もこころのうちに 当時の面影を追えることは 奇跡に近いことなのかもしれない。

先日の東スポのインタビューで 卒業年がバラバラだったことに触れられていたが、それは 同じ学年であっても同時卒業でなく、同じような進路でもないことを意味している。

つまり かれらのいちばん濃い繋がりは 合唱。歌。アカペラ。
そして その周りにあるものということになる。

それらが 大学の思い出に直結し、月日が経つことによって 温められ 昇華され 熱を持ち、美しく輝く思い出になっていったのではないだろうか。

かれらが、今も まるで青春時代、学生時代を現在進行形で生きているかの
ごとく、楽しみ 歌い続けているように見えるのは この思い出のチカラが年々 増しているからなのかもしれない。


母校の思い出は 彼らを燃やし続ける熾火(おきび)のようなもの。


ふだんは 決して 大きな炎をあげるわけではない。
だが 社会という炭(はい)のなかに埋もれながら 静かに長く 熱を持ち続ける。
そして ときおり アカペラを歌ったり、その練習に集まったり、その計画を話しあうとき、その熾火がチカラを持つ。

熾火からは 炎を燃え上がらせるエネルギーを得る。
熱く輝き、周りを照らし、初めて聴いたひとの心にも火を灯し、ともすれば
ファンを焼き尽くし、聞いたひとや見たひとの創作のエネルギーにも火を
つけ、さらに炎を広げる。


その炎は 社会で生きることに いつしか疲れ、夢を見ることを忘れ、生きる希望をどこかに忘れてしまった 幾万のひとたちに 熱い思いをよみがえらせる。


かれらの母校は 時の流れとともに 名を変えてしまった。
だが かれらの中では 永遠に「東工大」なのだ。

その思い出が 薄れることは 今後もない。
さらに 鮮明に さらに 美しく さらに 深い思い出になっていく。


母校を
そんな思いで懐かしむことができるかぎり かれらの青春は きっと終わらない。



その青春群像を
我がことのように 見つめることができるこころを持つ限り
見るひと聴くひとも ともに青春の思いをもつことができるのだと思う。


20年前 東工大で命を得た 「リストラーズ」が これからも 永く青春を歌い継がれることを 中秋の月を過ぎた日に祈っている。



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