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二十年の意味 @リストラーズ

連日 何らかのことをnoteに綴っている。
何のために? と問われたとして 筆者にもよく分からない。


ファンにとって もっとも深く響く貴重な動画。
結成から何年くらいのものだろう。


この動画には リストラーズが詰まっている。
楽しさも 希望も それぞれの思いも。 

 原点というわけではないが それでも多くのことを想像させてくれる。
まだ 青い時期の彼らの瞬間が切り取られている。


この動画をときどき見に行く。
同乗していたような気分になって 不思議な郷愁と愛しくてたまらない気持ちが募り しばらく現実に戻れない。
リストラーズに魅かれた それぞれのファンの胸にも 迫ってくるものがあると思う。 

今 筆者が綴るnote記事は 社会の役に立つとは思えない。
リストラーズのことを書いていたとしても 多忙な彼らに読んで貰えているとも思えない。
究極 自分のために綴っているのだというほかはない。
 
ただ 魅かれていて それをそのまま心のうちにとどめてはおけないほど溢れてしまうから。

文章にすることで 客観視できないものかと考えていた。
しかし、客観視どころか 自身の思いを再確認して なぜ魅かれるのか どこにそこまで魅力があるのかも掴めず ますます迷路に踏み込んでいく気がしている。
 
二十年の時間に熟成された彼らの活動から生まれるものを たかだか半年で
消化しようなどとは あまりにも浅はかな考えなのだ。
 
リストラーズ結成前にも 積み重ねられた努力や逡巡があっただろう。

学業との両立にも 合唱の世界に足を踏み入れることにも そこでの人間関係にも 。
また卒業後に継続できるかどうかにも それぞれの職場の多忙さや断れない
異動、負担の大きさもバラバラにあったはず。
 
メンバー同士であっても 考え方に差がないはずもない。
卒業、就職、職場異動、活動方向、家庭を持つタイミングも そのパートナーの考え方も 同じであるはずはない。
 
そのすべてを乗り越えて 消化して 今の彼らの活動があるのだ。

生まれたばかりの赤子が成人するほどの年月なのだから 想像する以上に
いくつものハードルを越えてこられたと思う。
 
その上での活動を 今 見ている。
 
たとえば 声の維持には、どんな訓練と努力が必要なのだろうか。
リサイタル前には 仕事との両立で立て込むにも関わらず、疲れて風邪をひくわけにもいかない。
近年の在宅動画の撮影にも ある程度の締め切りがあるのだから同じことだ。

彼らの主砲は 歌。その声が 命なのだから。
 
喉を冷やさず、体力維持も必要、かと言って本業の手を抜くこともできない、基本 サラリーマン生活なのだ。
しかも 勤務先や立場 仕事量はバラバラで 調整は各自で何とかするしかない。

これが どれほど大変なことか アマチュアのままセミプロほどの何かを継続なさっているかたには 痛いほど理解できると思う。
 
歌うことが好きだから だけでは続かない。
結成当時には 特に悩まれたことが数多くあっただろう。

いったい認められるのか、続けることに意味はあるのか、ほかのアカペラ
グループとの差を埋めていけるのか。
一度のリサイタルでウケなかった曲はどう消化するのか、ブラッシュアップできるのか。
 
共演だった場合 強く印象を残せたか、チケット代金に見合う公演になったのか。
趣味とはいえ、カルチャーセンターや習い事のレベルではないのだ。
見直し、磨き直し、積み上げ、反省、更なる練習と工夫。
 
リピーターをつくれなければ、毎度新規客を呼び込まなくてはならなくなる。減らないチケットを眺めて 溜め息をついた日はなかったか。

では そのリピーターを どう作るのか、また来たいと思ってもらうには何が必要なのか。
一面 会社での仕事に似ているが 芸術関係・音楽関係のリピーターは、よほどの感動がなければ 次などない。
 
お客にとっては 余暇の時間を楽しく過ごして、使った時間と金額に見合うかどうかだけが すべてだ。
もし 心を掴めないまま帰してしまったなら 外の世界には他に楽しめることが 山のようにあるのだから すぐにそちらへ流れて行ってしまう。
 
現在にいたる前は ネームバリューに頼るほどのものもない。
その過酷な状況をすべて乗り超えて、今の彼らがある。
 
この大きさ、深さ、厚みを考えたとき 動画配信で維持なさっている凄さに どんな言葉を尽くしても 埋まることなどない。
 
だから 書く。
邪魔などしたくない。

彼らが望むなら もっと先へと進めるよう応援したい。
ここまでだと思われる時が来たなら それは それでもいい。
現在のスタイルを変えていかれるというなら それでもいい。
 
これまでの積み重ねと 彼らの情熱に 敬意を持つから 宛先がなくても書く。
ほかに 応援できることを思いつけないから 書く。

たぶん それが何のために?の理由だから。
 
 
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