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信濃の 響き @リストラーズ

ずっと以前に聴いた歌が 心に残っている。
歌の話の前に 少し前置きを書いておこう。
 
社会人になってから出会った友人の話。
友人Mは、お遍路さんの国に生まれ育った。やがて 都会で筆者とも出会い、仕事で関わることになった。

最初の印象に違わず、とても優しく 面倒見のよいひとだった。いろんな相談にも乗ってくれて 一緒に悩んでくれる。年齢は変わらないのに どこか母のような優しさが いったいどこから来るのかと不思議に感じていた。
 
あるとき 出身地の思い出のひとつである お遍路さんの話をしてくれた。

地元では  Mだけでなく 家族もご近所さんも お遍路さんを大切に迎え 優しくもてなしをする習慣があるという。

若くして心に大きな傷をかかえたひと、人生の途中で家族を亡くしたひと、人生の終幕前に自分を見つめたいひと、さまざまの理由を持つ老若男女が
お遍路さんとして弘法大師と同行二人で 参詣にめぐる。

Mは 重荷や傷 悩みをかかえた人たちを包むように、けれど踏み込みすぎず、迎え続け 見送り続ける親や祖父母を見ながら育っていった。

そうして大人になって ひとに対して つつむような温かさとともに 付かず
離れずのふれあい方が 当たり前のこととして身についていったことが分かる話だった。


リストラーズファンなら ご存知の動画 MCも好き
(拙文タイトルを付けたヒントが含まれている? ← イタズラ気分 失礼 )

 
その後 Mは年頃を迎え、結婚。お相手は信濃の国のひとだった。
信濃の国にも佛教信仰が土地に深く息づいている。

筆者も個人的に知っていた人物で、見た目は高身長・モデル体形・俳優に
なってもおかしくないようなイケメンでありながら 三枚目寄りの二枚目半と
いう存在。

いつも周りを楽しませ、笑わせ、もてなすのが好きな温かな男性だった。

筆者は 彼らの婚礼に招かれ、ほかの友人や仕事仲間たちと一緒に 出席の
ためワゴン車で向かった。
 
この婚礼の前夜、Mと 明日から夫になるひとの友人・知人が集まる、まるで前夜祭のようなアットホームな軽食会があった。
婚礼の前夜祭的な会が このあたりの習慣なのかは知らない。

しかし入れ替わり立ち代わり、明日の婚礼には 会場のキャパの関係で招き
きれなかったひとたちも集まってくる。ざっくばらんな家族的な集まりの
くつろぎムードに すっかり酔いしれ楽しんだ。

そのとき 
そこに居合わせた人たちで 大合唱された一曲が印象に残っているのだ。

 
「信濃の国」

 
信濃(しなの)の国(くに)は 十州(じっしゅう)に
境連(さかい つら)ぬる国にして
聳(そび)ゆる山は いや高く
流るる川は いや遠し
松本 伊那 佐久 善光寺
四つの平(たいら)は 肥沃(ひよく)の地
海こそなけれ 物さわに
よろず 足(た)らわず事ぞなき

 
この歌は 六番まであり、一番から四番までは 信濃の国の名勝や産業が特徴とともに歌われる。

五番と六番には 信濃の国出身の偉人や著名人 神近きひとのことが歌われ、その人たちに負けぬよう、ひとの世のある限り伝えられる生きざまを誇りとして これからも頑張るんだよと、生き方を説いて結ばれる。

 
歌詞の内容にも感銘を受けたが、驚いたのは 集まった老いも若きも当たり前のように間違えることなく完璧に歌えることだった。

筆者の地元では 都道府県歌の類があるのか無いのかさえ、気にしたことがない。どんな歌なのか知らないというのが 割と普通なのではないだろうか。

 
だが ここでは違った。


小学校で必ず習い、高校まで歌い継がれるらしい。
そのため全年齢の出身者や 学生時代に信濃に一時的にでも住まったひと達は 全員が完璧に歌えるようになるという。

織り込まれた郷土の誉(ほまれ)を胸に 多くの信濃の若者や娘たちが 都会に出たあとでも、心の奥深いところに共通のメロディや歌詞が流れている。
 
どこか胸アツに感じるのは 筆者だけではないのではないか。

信濃の国の出身ではない筆者だが、六番まで歌えるようになりたいと思い
こっそり練習中である。

<  そういえば 県歌ではないが横浜市歌は 広く市民に歌われていた
       老若男女 歌える歌を持っているひと達は 幸せだと思う  >

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