私とK#72

日時:2012年秋頃
きっかけ:草薙出雲という男。
Kになった瞬間、というとはっきりとは覚えていません。自分でも本当に不思議で、当時の私を知る人たちに「私っていつからこんなにKのこと話してた?」と尋ねてみても「ある日突然"草薙さん"のことしか話さなくなった」という証言しか取れず。当時のツイログを遡ってみれば本当にある日を境に草薙出雲に想いを馳せる日々。一体あの日の自分に何があったというのでしょうか。記憶力は悪くない方だと自負しているだけに、なお疑問です。そしてこの疑問は恐らく、私の人生において永遠に解き明かされることのない命題であり、即ち私の人生とKは切り離して考えることのできない存在なのだろうなと実感する日々です。

Kの視聴自体はリアルタイム(厳密に言うとニコニコ動画での視聴だったのでリアルタイムではないかもしれませんが)2012年当時から視聴を続けておりました。
リアル、ネット含め周りにKを視聴している友人等もおらず。綺麗な画面作りと繊細で美しい音楽を楽しみながらストーリーの本筋はわからないままに進んでいくKを当時の私はぼんやりと眺めていました(ただ1話の時点で草薙出雲のことは"やたら顔がいい男"と認識していました)回を重ねる毎に明らかになる登場人物達の複雑に絡み合いこんがらがったKIZUNAやK世界線特有の言語。当たり前のように語られる人間関係に「え?そんな描写あったっけ?前回見逃した?」と焦ることもしばしば。10話を超えた辺りからは「こんなに大風呂敷を広げてしまって大丈夫なのか?ちゃんとあと数回で本当に畳めるのか?」とドキドキしながら視聴していました。
Kのアニメが終盤に差し掛かる頃、私に一人の友人ができます。彼女は私の友人(女性)の当時の交際相手でした。きけば最近Kというアニメが気になっているのだけれど難しそうで話についていけそうにないとのこと。その話を聞いた私は即座にインターネット通話を繋げ、彼女にKという作品の持つ世界観、登場人物の詳細、人間関係、展開されているメディアミックス(ドラマCD、関連書籍等)自分の持つKの情報を惜しみなく彼女に伝え、後の一挙放送をインターネット通話の力を借りて同時視聴、出来うる限りのサポート解説までもをこなしておりました。今思えば自覚症状こそ全くなかったものの、あの時の私は…いえ、私たちは紛うことなきKでした。
周りにKの話をすることも出来ず、ツイッターでただひたすらにどうすれば草薙出雲という男は幸せを掴めるのか、と壁打ちを続ける私にとって、この出会いは正に青天の霹靂でした。人とKの話をするのがこんなに楽しいなんて!Kによって繋がるKIZUNAを実感し、その魅力にさらに取り憑かれた私は同人活動まで活動の幅を広げ、即売会所で更に多くのKクラ達とKIZUNAを結びました。
「ジャンルの切れ目が縁の切れ目」なんて言葉もあったりしますが、Kで繋がれたKIZUNAは今でも解けることはありません。共にKの最終回に涙し、who is the nextでは続編決定告知で崩れ落ちボロボロになりながらも泊まった宿でオールナイトK上映会。毎週のGoRAの呟きに翻弄されては、互いに付箋だらけになったロスモワ片手にSkypeで夜を明かし、KMKには幾度となく足を運びました。6年という月日で互いを取り巻く環境も変わり、Kとの付き合い方も変わってきましたが。今でもKの話を…と切り出せば快く時間を作ってくれる彼女の存在に救われると共に、Kによって培われたKIZUNAは生涯の宝であると断言できます。
今はどうしているか:関連書籍等追いきれていない…もとい心身の健康維持の為意図的に避けてきたり二期に対して思うところもあり少しKと距離を置いた時期もありますが、その間もKFCには入会しており二期後のイベント、オールナイトシアター上映等にも参加させていただいておりました。
K7Sは追いかけておりましてMOR草薙出雲厚紙にて心をめちゃくちゃにされ、控えるVCへの恐怖で気もそぞろです。
しあわせとは何かを考えずにはいられない6年間を過ごしてきました。K7Sが完走する時、私の中で何らかの答えが出るのだろうか。草薙出雲に救いはあるのか。いまはそればかりを考えています。

1人選んだら:三輪一言様

K(と草薙出雲)にはまった女のドキュメンタリー、お読みになられていかがでしたでしょうか。私が口をはさむことといえばそこ出雲じゃなくて一言なのか〜い!ということぐらいです。KIZUNAは生涯の宝ですね。CVの前に投稿できてよかったです。もうすぐ週末ですね、いってらっしゃい。

一番好きなK:S:B(小説版)
一番好きな雑誌版権(ポスター)・グッズ:お匙の草薙出雲誕生日ポスター

ぜひあなたがKになった時のことを教えてください

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