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強みについて考える

初めまして。Twitterで繋がってくださっている方々はいつもありがとうございます。
先日、マヤちゃんがbubble内で20歳の誕生日をこれから迎えるにあたって、自分を見つめ直して強みを見つけたいというような趣旨の投稿をしていて、

マヤちゃんの強みって演技力じゃないの?

と思ったところから初noteを書いてみました。
拙くまとまりの無い文章ですがお付き合いいただければ幸いです。
なお、Twitterでは交流を目的とした側面があったり文字数の関係で誤解を招く事を避けたいという事もあり、 推しが可愛い!いちばん!ネガティブな事は(表側の不特定多数の目に触れる所で)一切言わない! のスタンスでやらせてもらっていますが、基本的に私自身がネガティブ思考の為、出発点が楽しい嬉しいだけでは無い事をお許し下さい。


◆強み、の分かりやすさはどうしてもある

私はいわゆるオーディション番組が好きでTHE FIRSTも昨年視聴していて、実はそちらの専用アカウントもあるので11月のバズリズムLIVEでNiziUとBE:FIRSTが同日にライブに出演した際にはどちらのアカウントのツイートも見ていました。

私の席もこれくらいの距離感でした

それぞれのアーティストが出演し終わった直後の初めて見ましたツイートを読んでいると、どちらのアカウントを見てもそれぞれ何人かの特定のメンバーへのツイートに偏っているように感じました。
それまでのストーリーを知らない状態でパフォーマンスを見せられた時、ましてやあの大きい箱では分かりやすく歌の上手いメンバー、ダンスの上手いメンバーはやはり強いです。

マヤちゃんは沼メンバーだもんね…!私は良さを知ってるからいいんだ…!と思いながら帰ったのをちょっと思い出しました。人数の多いグループなのでどうしても目立つ子に目も耳も行きがちです。
私の大好きな細やかな指先まで神経行き届いたダンスも芯のある安定した歌声も俯瞰で見るとインパクトという面では決して強くは無いです。
(インパクト強ければいいというものでもないですが、今は分かりやすさの話なので)

私はマヤちゃん推しなので初見はほぼマヤちゃんしか見ていないし私にとっての一番だと思っているけれど、歌といえば…ダンスといえば…他にも○○といえばの話になった時、一番ではない事が多いのも客観的にみた時にはそうなんだなっていうのは分かっています。
いろいろ出来るが故に強みが正直分かりにくくなってると私も思っています、それは事実。
でも、だからこそ知りたい。そしてその一端が少し掴めた時が最高に楽しい。私がいつも
好きの向こう側に行きたい
と言っているのは、こういう事です。
自分だけが知っている(かのような)感情を文字にしたいんです。


◆80点の呪縛と演技力のパラドックス

MVにおける抜群の存在感。楽曲のいわゆるキリングパート。クール、色気、複雑さ、優しさ、強い意志、コミカル、くるくると変化する表情。

表情の魔術師

それを支えるのが マヤちゃんの 演技力 というのが共通の認識になっていますが、後に本人も語っていた 自分の長所が演技力だとは思っていなかった 節が虹プロを見ていると、特に評価の場面で見受けられます。

東京合宿では歌を褒められ涙
個人レベルテストではダンスを褒められ涙

パークさんがマヤちゃんを評価する時、まず口火をきる褒め言葉は『演技力』についてですが、彼女の感情の堰が切れて涙を流すのはいつも歌やダンスを褒められた時です。
この事からも何を大事に思って練習を積んでいるのか、どこを汲んで欲しいのかが分かります。
東京予選で
『勝村さんは演技力が素晴らしいです』
と評価され一万人から選ばれたのにも関わらずです。オーディションにおいてはプロデューサーの意向は大きく、以前に他の事務所の練習生として所属していた事も考えればそこをアピールしていく事が近道であることは明白なのに、演技力というそこだけをストロングポイントにする事を自分に許さなかった。これは凄い事です。

自己表現を既にあるものだけに頼らない、
それも強み。

と、同時におそらく

演技力というより憑依に近いものだったのかもな

というのもずっと感じています。
ステージに立つと内側の世界が宇宙のように無限に広がってしまう。場の空気を吸ってしまう。
それゆえに-5℃の存在感を放つ。

謙虚さや自己理解が分かりやすく現れている場面
私はこの時にずっと推す事を誓いました
異空間にいるとはさすが言い得て妙

自分自身でもコントロールしていない
『全ての部分』
を演技しているわけではなかったから(これは私なりの想像です)Swing baby のような満場一致120点のパフォーマンスをしたとしても80点の呪縛から逃れられなかった虹プロ時代。

新しい楽曲が出るたびに演技力の部分と内側にあるエモーショナルな部分がうまく溶け合ってきているように感じる最近のマヤちゃん。
強みが演技力である事に異論はないけれど、木から木材を切り出して外側に美しい装飾のスプーンを作るというよりは、木の中に既に存在しているスプーンをそのままの形で取り出すような概念でいたような気がするマヤちゃん。
演技と表現、作られたものと出るもの、そこを自由に行き来して、もうほとんど解けかけてる呪縛からの解放を果たした時に紫の時代がやってくる。そんな予感がします。

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