障害者手帳を取得した

 2019年11月某日。僕は地元の市役所の障害者福祉課にいた。

 2ヶ月前に交付の申請をした精神障害者保健福祉手帳が届いたとの連絡があり、それを受け取りに行ったのである。

 現物がこちら。

画像1

画像2

 自治体公認ガイジの誕生である。

 等級は予想していた通り3級だった。1~3級に分かれていてその中では一番軽く、受けられるサービスは目を見張るほど多いわけではないのだが、それでも金銭面ではかなり有益である。地元のバスは半額で乗れるし、入場が無料になる施設が意外にも多い。中でも特に映画が1000円で観られるというのが強すぎる。あとは税金の控除なんかもあったはずだが、それについてはあまり詳しくないのでここでは触れないことにしよう。いずれにせよ、使えるものは使うに越したことはない。

 ちなみに、手帳よりも一足先に自立支援医療の利用申請もしている。月の精神科医療費が一定の額以上は全てタダになるという優れモノである。今までバカ高い薬代にかなり苦しめられてきたが、当面は医療費に関してはどうにかなりそうである。更新を忘れなければ。

 さて、手帳を取得して約1ヶ月が経った。名実ともに障害者として現在まで過ごしてみて抱いた感想は、読者諸兄も気になるところであると思うので、述べさせていただこう。

    手帳で健常者にマウント取るの気持ちエエ~~~~~wwwwwwwwww 

    はっきり言ってODをも上回る快楽である。これを覚えたからにはもはや手帳なしでは生きていけぬ。

    ところで、手帳の交付理由となった自分の疾患に関してだが、おそらくはASD(自閉症スペクトラム。従来アスペルガー症候群と呼称されていた疾患である)とADHD(注意欠陥・多動性障害)の併発であると思われる。片方だけでももちろん困るが、併発しているとなるとなおさらである。人の感情の機微に疎いことや言葉を文字通り受け取ってしまうことによるコミュニケーション・対人関係における困難、ADHDとしては不注意優勢型であるために3歩歩けば忘れるとすら形容される短期記憶の弱さに悩まされている(余談だが、手帳を交付されて取りに行ったその日に、書類の記入と捺印のために持って行ったペンケースを手帳を受け取った後市役所にそのまま置き忘れて帰った。絵に描いたようなADHDムーブである)。あとはマルチタスクの並行処理が苦手なことなどだろうか。

 発達障害は、原則として一生付き合っていかなければならず、少なくとも現時点では根治の方法が存在しない疾患である。「発達障害を治す」などという文言が出る時点でそいつは発達障害のことを何も理解していない。訓練により症状の緩和がある程度見込めるケースは存在するが、それでもやはり限界というものはある。かくいう僕も幼少期から考えれば経験値の蓄積と年月の経過によってかなりマシになった方であるとは思う。しかし未だに、健常者同士のそれと同じようなコミュニケーションがとれる域には到底達していないのだ。

 発達障害が原因の根幹となって発生する他者加害は大抵の場合無自覚に行われる。何が原因で周囲を傷つけたのか、事後にしか気づけない。自覚した時にはすでに手遅れである。つまるところ未然に防ぐということが不可能なのだ。

 だから僕は、傷つきたくないのであれば僕と関わるのを拒むべきだ、いついかなる形で他者を傷つけるかどうか、自分にも予測ができないし、そしてまさにその時も無自覚で、気づいたときにはおそらく後の祭りになってしまっている、それを恐れるのならば僕と関わるべきではない、その方が身のためだ、という予防線を張って常に注意喚起をしている。最初から関わりを持たず、僕が孤独でいることを甘んじて受け入れれば、僕によって傷つく者は限りなく減らせるはずだからだ。

 にも関わらず!

 それでもほとんどの他者が物好きなのかそれとも愚鈍なのか僕を拒まない。全くもって理解できない。意志とは関係なく他者を傷つけてしまうというのに!

 そのくせ、予防線を張っているのにそれを踏み越えて近づいて、そのうえに己すら想定できぬ過ちを犯したら簡単に放り捨てるのか。キモ過ぎて気が狂ったわ。ならばいっそ最初から関わらないでくれ。

 本人にも事前に予想ができず対策も立てられない過失が発生する前提で他者と接することができないなら人間関係なんか一生構築するな。前もって考えれば防げることばっかりじゃないんだわ。

   僕とてマジョリティと比較しても遜色ない程度の行動ができるようになるための努力をしていない訳では全くないから、決して「こういうハンデを抱えているから配慮しろ」という強要を叫んでいるのではない。しかしそれでも、無意識下での他者加害をゼロにするというのは現実的ではない。だからこそ、気を遣わせる前に己から遠ざけることでそのリスクヘッジをしているのだ。だが関わるのを拒まなかった上で結局幻滅して拒絶するのであれば容赦する理由はない。一度関わったのなら地獄の果てまで見届けろ、それができないのなら最初から関わるな。そういうスタンスであるゆえ。

 こういったクソデカ感情に振り回され続けた結果、行き着いた考えは「『マトモ』は時として暴力たりえる」である。なるほど。健常者サン、自分の持つ加害性に無自覚であるが故にいつも楽しそうに生きている姿がこの上なく美しくて"好き"になってしまいますね。

 上等だ。そうなればもはや健常者とそうでない者とで歩み寄ろうなんて実現できるはずもない。夢のまた夢じゃないか。相互理解なんて考える方が馬鹿らしい。加害性には加害性でカウンターを返していけ。

 まあ、予防線を無視して関わるという愚行の結果何も起こらない間なら責任を持って愛してやるので覚悟しろよ、各位。

 というわけで、長くなったけれども、手帳でマウントを取ることを躊躇せず、「社会に中指立てていけ」そして「美しくとも悪であれ」を標榜していきたい所存である。

 全く言及してこなかったが世間はクリスマスムード一色、そしてそう言っているうちにも今年が終わる。僕の年内の投稿もおそらくこれで最後だろう。

 来たる新年、読者諸兄にとって素敵な1年となりますように。

 拙文によるお目汚し、失礼。

 メリークリスマス、そして、よいお年を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?