「性別:その他」を生きるということ

 昨今、就活用のwebサイトやエントリーシートの性別欄にも「その他」が追加されているらしい。私は学部卒で就職する気はないのだけれど、物見遊山程度にその手のサービスには登録しているので確認してみたところ、確かに性別欄に「その他」のチェックボックスがあったので嬉々として私はそれをクリックした。一言申し添えておくと、私の性自認に身体が一致していれば男女どちらかのみの性別欄でも問題がなかったことは言っておく必要がある。とはいえ、生物学的男女のどちらかでは規定できない要素を有している、いずれの性別の要素も包括した存在だと自認しているからこそ「その他」を選択するのだが。

 さて、読者諸兄の中にそもそも私の性別に関する事情を知っている者がいくらいるのかという話であるが、正直なところ私は不特定多数に見えるところ(主にTwitter)でそれについて公言しているから、わざわざ今ここで話す必要はないのかもしれない。とりあえず繰り返しになる前提で言っておくと、私はMtF(Male to Female、生物学的性別が男性で性自認が女性)、つまり性別違和(GD)、最もよく知られているであろう名称では性同一性障害(GID)の当事者である。ちなみに性自認と性指向の混同を避けるために、性指向に関してはパンセクシャル(全性愛者)であると補足しておく。今からお話しすることは、私がGIDの診断を受けるまでの流れおよびその後と、それに付随する内容である。

 GIDであるというが、私にSRS(性別適合手術)やホルモン治療を受ける予定はない(抗男性ホルモン剤を個人輸入して飲んでいた時期はあるけれど)。性別を変えるということに関して、染色体レベルでの変化が望めない限り少なくとも私にとっては正解ではない。言い方が悪いけれども、大金を払ってSRSをしてまで子宮すらない、男の骨格と声に女の脂肪のつき方をした毛むくじゃらで髪が長いだけのバケモノになるかもしれないリスクを背負う気はないのである。

 GIDの診断書を入手するための理由として最も多いのはSRSを受けるための必要書類だからであろうから、ではなぜ私が診断書を発行するために数か月間月1のペースで片道1時間半ほどかかる病院まで通った(効力のある診断書を発行できるGID学会の認定医がいる病院のうち、最も近いのがそこだった)のかということになる。最大の理由は、SRS以外で診断書を必要とする当事者が最も多い用途──そう、改名である。私は出生名が字面を見ただけですぐにそうだとわかるような典型的男性名であったから、身体に手を加えなくとも名前だけは絶対に変えたかったのだ。

 病院で行われたのは問診票の内容を踏まえた会話を中心とした初診のほか、性分化疾患(インターセックスとも呼ばれ、染色体異常により通常の男女と同じように区分できない)の有無を調べるための血液検査、そして精神状態との関連について確認するための心理検査(私が受けたのは数十個の質問に答えるエゴグラムと木や人のイラストを描いてそこから心的状態を確認する描画テストだった)などが主であった。

 かくして、私は苦労の末に診断書を入手することに成功し、次は改名を目指して動くことになる。正直心理検査では自覚していないようなことが見透かされて虚偽認定されるのではないかと思ったけれど、考えていることをそのまま書いたり答えたりしていたら何事もなく診断が降りた(だから自分の中で違和感に確信があるなら心理検査によって詐病の疑いをかけられたりはしないのではないだろうか)。しかしながら、診断書が取れたからといって、実はすぐに戸籍名を変更できるわけではない。改名が認められるには、新しく使用したい名前の「使用実績」なるものを作って(ネットショッピングの納品書や、通名で使用できるサービスのカード類などが主流である)、本籍のある都道府県の家庭裁判所に事件として申立を行い、そのうえで認められないといけないのである。

 そして診断書の発行から数ヶ月。必死で使用実績を集め、改名理由として妥当だと解釈できる文章を書いた申立書類を提出し、申立から1ヶ月経ってようやく行われた家裁での審判に臨んだ末、ついに改名が許可されたのである。ひょっとすると、生きていてここまで嬉しい日はなかったかもしれない。戸籍名が変わった日から新しい名前を書く練習を始めたおかげで、今では自分の名前を書き間違えることもなくなった。今ではきちんと、本名を胸を張って名乗ることができる

 かつてこれらによって虐げられたりそのために浪費してきた時間を過ごした古い衣を脱ぎ捨てて、生きていくのだ。

 こうして、診断書入手のためにジェンダークリニックに通い始めたころの目的を果たしたわけだが、それとは別の理由についても記したいことがあるので、どうか拙文に付き合ってほしい。

 まず、私の性別についての事項が明確な形で周知されていないことにより、他者とのコミュニケーションのなかで距離感を間違えたり間違えられたり、また勘違いしたりされたり、さらにそれが原因でトラブルに発展し傷つけ合ってしまうことを避けるということが目的の1つとして含まれている。

 時に、世の中にはジェンダー論を少しかじった小賢しい人間が性違和を抱える者に対して「男性(女性)社会での競争に敗れ、男性(女性)的ジェンダーロールから逃避したくて性違和を名乗っているだけ」などと言い放つことがある。これは実際に苦しんでいる人間の痛みが透明化され、その上加害されるという意味で死活問題といっても過言ではない。診断書取得には、こういった連中を牽制する意図もあった。

 ところで、私の幼少期はというと、戦隊モノや仮面ライダーのような特撮を好むようなごく普通の男児で、同世代の女児が見ているような作品(当時だとおジャ魔女どれみや初代プリキュアだろうか)には触れていなかった(「忍風戦隊ハリケンジャー」のハリケンブルー/野乃七海役の長澤奈央女史は当時から今に至るまで私の中のヒーローでありヒロインである)。乗り物も好きでトミカを集めていた記憶がある。しかし、プリキュアが好きな(シス)男性、仮面ライダーが好きな(シス)女性が普通に存在するように、どういったコンテンツに触れるかは当人の性自認とはあまり関係がないことはもはや言うまでもないだろう。一人称や服装についても同様である。

 思うに、その世界を知っているかどうかというのは大事なのではないか。性別に対して普通であるとされているものしか知らなかったからそうなっただけの話で、何かの間違いでそうではないものに触れることがあれば結果は変わっていたかもしれない。また、そういった「逸脱」が起こることによりからかわれたり排斥されたりすることへの恐怖の影響も大きいと考えられる。そのようにして成長していくと、出生時の性別と性自認にズレがあっても前者と同性のコミュニティに迎合し、不自然でない振る舞いをすることがある程度可能になってしまうことがある。慣れとは怖いものだ。そしてそれがまた、上述した「心ない方々」が彼ら彼女らを非難する論拠になってしまうのである。

 性違和の発現時期については、一般的な当事者と比べて私の場合はかなり遅く、第二次性徴のころだった。それゆえに、私は自分の違和感、嫌悪感について思い込みなのではないかと考えてきたけれど、一過性ではなく結局今まで続いている。そもそも、第二次性徴以前は外性器以外の男女の差異は服装や髪型といった自由に変えることができるものが多いわけで、それまで特に気にしていなかったところに突然身体に大きな変化が出たらそこで初めて違和感を覚えたとしても何らおかしくはないように感じる。

 ここまでまた、いつものように長々とキーボードの上で指を滑らせているわけだが、この投稿の中で最も伝えたい内容を選ぶとすれば、悩ましいけれども「性別の違和感について公的機関で証明してもらうための流れ」および「性別違和に伴う改名の手続きについて」といった実践的な部分だろうか。とはいえ、自分の性別に確信が持てず不安なひとがいるなら、むしろそれ以外を読むことで少しは自信を持つことができるのではないかと思っている。いささか傲慢かもしれないが。

 最後に、性違和の発現時期が遅いことを理由に「所詮エセ/思い込みかもしれない」と悩んでいる当事者に、私の例を通してそういったケースだからといって公的にGIDだと証明してもらえないことはないと知っていただき、少しでもお力添えできれば幸いである。以上。またいつか次の記事にて。

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