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あとがき(平家物語の木曽義仲)

木曽町連載4コマと冊子化について

木曽義仲・巴御前、その周辺の人々を紹介する4コマ漫画を2013年より、長野県木曽町の広報にて連載しています。

開始当初は『まんがでわかる「中原兼遠と木曽義仲」』を刊行した後で、当時、町では義仲にまつわる講演会・勉強会などが多く催されたり、基本的なことは周知されているのでは?と考え、義仲に関することではなく、周辺の人物伝を順に紹介していました。

2013年…周辺人物を一人づつ

2014年…義仲の血縁関係(親・女性たち・こども)を一人づつ

また、当時どのくらい連載が続くかわからなかったため、いつでも終わりやすい企画にしていたという事情もありました。

2年目の終わりごろに担当者と相談し、2年は続けることが可能とお聞きし「それならば」と2015年から始めたのが「平家物語の木曽義仲」です。

しかし「2年」で平家の義仲を書くには義仲の登場話1つにつき1つで進めねばならないため、横田河原合戦までを超絶スピードで終わらせたのですが、結局、連載はそのまま延長していただくことができ、2020年3月で義仲最期まで続きました。(現在後日談を連載中)

これまで同人誌やpixivで発表してきたものは経過報告的に、様々なイベントの際にまとめてきたものです。

今回、一冊の本としてまとめるにあたり全話通して見ると、執筆当時の事情から横田河原までがあまりに短く、単独で読んでいただいた場合、あまりにアンバランスなため書きおろすことにしました。


冊子はまんがが上半分、下半分が文章になりますが、中学生向けバージョン(木曽町作成)と、詳細解説バージョン(西川作成)の2タイプを作成します。

今回詳細解説バージョンをコミケ98・コミティアで頒布しようと考えていたのですが、イベントは残念ながら中止となり、私自身3月頭から体調を崩しており、エアコミティアでの一時公開を目標に横田河原合戦までの制作にあたりました。…結局手が遅くて、エアコミティア終わってからも続けることになっちゃったのですが(笑)

横田河原合戦以降はこれまでに作成したものを構成上見直し、コマを組み替えたり、一部加筆したものとなります。既にほかの場所で読んだという方も多くいらっしゃると思います。今回の描き下ろし公開は期間限定で考えていましたが、新たに発見して下さった方も多いので、このまま1日1話で続けていこうかなと思っています。

内容について

「平家物語の木曽義仲」は、どなたでも手に入れやすい「全訳注平家物語(杉本圭三郎/講談社学術文庫)」と「平家物語(佐藤謙三校註/角川文庫)」をベースに、平家物語の流れにそって木曽義仲と周辺の武士を漫画にしたものです。

「平家物語で義仲は悪く書かれている。史実を見よ」みたいな声をよく聞くのですが、平家物語単独を義仲から視線を離さずに読んでいくと、悪く?書かれているのはごく一部です。また、しっかりと読み込んでいくことで義仲が何を語り、何を求めて行動したかが見えてきます。

方々で繰り返し言ってますが「義仲は戦好きでばんばん人殺しそうな雰囲気で何も考えてなさそう」な先入観が世の中にはびこっていますが、義仲は戦を避けまくっています。大河ドラマに義仲が取り上げられて「私は戦を好かん」とかいったら「また現代人の感覚でwww」とか言われそうなんですけど、平家物語を忠実に義仲を描くとそうなります。

貴族が書き残した史料よりも、平家物語の方が義仲に好意的ですし、アカデミックでも史学より文学のほうが義仲に好意的です。(というか史学で扱える文献資料が極少なので、偏るのは今のところどうしようもない。)


こうした「先入観」は恐ろしいもので、知らない間に脳内に忍び込んでいて、「○○が△△なわけがない」というジャッジをしてしまいます。私自身、この連載にあたり、フラットな気持ちで平家物語を読み返し、改めて発見したことがいくつもありました。

ただ

その発見や、義仲の人間性を引き立たせるために、「平家物語の木曽義仲」では、西川の作ったセリフ・エピソードで強調して描いている部分はありますし「義仲が主人公」という世界観で全体を描いているため、他の陣営がお好きな方には、あまりおもしろくないかと思います。

私自身「先入観」にとらわれていたので「これ描いちゃって大丈夫かしら…ガクブル~」というところもあったのですが、まあ、義仲は、過去850年ぐらいの間に存在するさまざまな作品で、さんざんっぱらメタクソに書かれてきたわけで…まあ「義仲が主人公」な「義仲が一番かっこいい」という世界線の作品があってもいいのではないか?と思い切って描いてしまいました。

西川が「強調した部分」については、詳細解説版の文章で「何を根拠にこのような表現をしたか」と書く予定です。どこまでが平家にあることで、何で強調したのかは興味がある人には知ってほしい部分です。私が考えていること・私の義仲像は「私にとっての解」であり、一人一人が違う義仲像があるのが当然だと思うからです。(もちろん「西川解の義仲が好き♡」という方がいらしたら嬉しいです。)

おわりに

「平家物語の木曽義仲」で義仲について興味をもってくださった方がいたなら、強調されていないフラットな「平家物語」も読んでいただいて、ご自身の「木曽義仲像」「平家物語」を見つけていただけたらと思います。

元にした「講談社学術文庫版(覚一本)」「角川文庫版(流布本)」ですら、同じストーリーでも表現の幅があるのです。手に入れにくい「延慶本」「長門本」「源平盛衰記」ではもっともっと違います。

なぜ追加の表現があるのか?何のために?考えていくと、「解」は無限です。








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