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コアラの自己紹介をします。

みなさまはじめまして。コアラです。
2023年の目標であるTwitter発信を続けてきて、色々な方とのご縁もありました。今後はnoteにも注力していきたいと考えています。

そうはいってもまずはそもそもコアラってどんな人?と思っている方も多々いらっしゃるかと思いますので自己紹介をして皆様に私をを知っていただければと思います。

身バレはNGであるものの、できるだけコアラのことを知っていただけるように書いていきますので宜しくお願いします。

私コアラはアラサーの東京在住の男です。

生まれは関西で両親と妹と私の4人家族で、父親はJTCの会社員で母親、妹は医療系というごく普通の家庭に生まれました。

後ほど詳しく書かせていただきますが、両親には好きなことをやらせてもらいここまで育ててきてもらいとても感謝しております。

幼少期から今に繋がっていることは、妹と比べて要領がとても悪く、不器用でコンプレックスを持っていた自分も努力すれば結果を出せるという成功体験を積めたことです。

当時からハードワークを厭わないマインドセットが醸成されていたことは自身がセンスがなく、不器用で良かったなと心底思っています。

小学校の時から野球三昧で、週5は練習があり、残りの2日は習字と英語を習っていたため週7で予定が埋まっていました。

野球も勉強もそれなりに頑張っており、中高は文武両道な学生生活を過ごしておりました。この時から努力をして中の上、上の下まではいくもののその先は突き抜けれないということが悩みではありました。

中学時代の意思決定は今でも後悔していて、小学校の反動で楽に試合に出れる弱小野球部に入部したため、勝って当たり前だった小学校からのGAPも大きく周りの環境の重要性も感じました。

高校は文武両道で野球も強い高校に進学し、野球しかしていない学生生活でしたね。
隣町の高校のバレー部の彼女もでき、雨が降って練習が休みになったときはフードコートで一緒にダラダラしていたのもほんとに思い出です。

国公立大を目指していたものの、勉強不足で1年目は受験に失敗し、浪人することになります。

しかし、2年目も国公立大学の受験に落ちてしまい地元関西にある私立大学に進学することになりました。

振り返ると野球と勉強たまに恋愛といった平凡な学生生活を送っており、毎日楽しく充実していたものの、何かの領域で突き抜けることができない自分に少しモヤモヤした気持ちを持っていたことを覚えています。

大学進学後は野球を部活で続けてもプロになれるわけではないと自覚はしていたので、部活動には入らずサークル、バイトとよくいる大学生活を送りました。

高校まで野球が生活の中心にあり熱中していたものの、熱中するものがないため虚無感が大きい大学生活を送っていました。

引っ越しや野球場や喫茶店、ゴルフのキャディ等様々なアルバイトに取り組みつつ、学業では部活並に勉強を行うゼミに入り、朝から晩まで図書館にこもって勉強し続けました。

ハードワークしているときの自分が一番充実しているなとこの頃も改めて感じました。そして、大学時代勉強も頑張ったという自信も持って就職活動に臨むこととなります。

これだけ努力すれば絶対に大手企業に入れるという根拠のない自信を持って就活を開始するもことごとく面接に落ちてしまうこととなります。

就活解禁1週間で内定0選考0の状態となり人生で一番絶望したのはこの時期でした。ただ、この経験が人生の分岐点となります。

その時Twitterで偶然見た就活塾に藁にも縋る思いで、バイト時代に貯めていた卒業旅行代を全部突っ込み入塾します。

約1ヶ月半東京でホームステイを就活仲間と行い、朝から夜中までES対策、面接練習ときには夜中に公園で泣きながら自己PRの練習までしたこともありました。

そのおかげもあって5社大手企業から 
内定をいただけました。

結局、特にやりたいことがなかったため、最後にダメ元で受験していた大手JTCメーカーに(12月内定)ホワイト企業・福利厚生抜群・休み多い、給料そこそこ高いという理由だけで入社を決めました。

入試してからは1ヶ月の東京研修を経て、まさかの福岡配属となりました。

定時上がりのホワイト企業だったため、仕事終わりに飲み歩き、女遊びばかりしてましたね。

仕事柄社長の方とのお付き合いも多く、接待も頻繁に参加していたので2年で体重が30キロ増加して健康診断で痛風にいつなってもおかしくないと激怒されたことは今でも良い思い出です。

それまではJTCの看板でチヤホヤされていたものの、太れば太るほどモテなくなったので意を決してパーソナルジムに通い始め1年で体重30キロ落としました。

あの時は福岡の美味しいものを我慢するという拷問によく耐えたと思います。

さて、仕事自体も成績を出ていて社内でも同期の中では最短の出世コースに乗っていたものの、仕事自体も慣れてきた故にマンネリ化してきているのも感じておりました。

その矢先、自社が早期退職を行うと発表し、200名近く自主退職をしていく中で次の転職先が決まった方が殆どいなかったという衝撃的な事実を目の当たりにしました。

世間的に見れば大手JTCメーカー、優良企業、給与、福利厚生そこそこだったものの、俺の20年後会社は潰れなくてもこのままだと露頭に迷ってしまうなと思いました。

会社に人生を委ねることのリスクを初めて感じ、20代のうちにスキルをつけよう、成長できるチャレンジングな環境に身を置きたい、こうして転職することを決意しました。

この時にまず思ったのが
大学時代の就活塾での経験。

東京には優秀なビジネスマンがたくさんいることを痛感していたので、その当時の仲間とも食事に行き、東京で勝負しようと決意を固めました。

そこからの転職活動もここで話すと長くなるので割愛しますが、紆余曲折あり、年収250万円ダウンで転職しました。

行き着いたのはHR系のプロダクトを扱う
ベンチャー企業のコンサル営業。

この際にTwitter経由で今でも師と仰いでいる方と知り合い、たくさんアドバイスをいただいたので、キャリア支援はとても意義があり、すごく魅力を感じました。

転職してからは本当にガムシャラに働きました。偶然コロナ状況下と転職タイミングが重なったため、東京で外出することもできずひたすら仕事のために時間を費やしていました。

本も年間130冊は読み、スキルアップに全リソースを注ぎました。この時の努力が今の自分の基礎を作ってくれているので努力してきて良かったなと強く感じております。

現在も引き続き東京に住み、会社ではマネジメント業務を行いつつ、副業ではキャリア支援を行い令和のニューノーマルの働き方を体現することをモットーに日々奮闘しております。

気付いたら3,000字近くになっていましたが、令和版勝ち組リーマンを体現するにはハードワークをするしかないと感じた日々の生き様を発信していこうと思いますので皆さん宜しくお願いします。

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