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洞窟の中の人と外の人を結ぶ人

”世界の教養”34日目はプラトンの洞窟。

世界の多数の人は洞窟の中にいる人であり、脱出して外に出た人が哲学者であり、哲学者が統治者であるべきだという。そして社会全体が、統治者の要望を満たすように組織されるべきであると。

ここで欠けているのは、統治者と市民を結ぶ人、組織する人ではないか。

善(洞窟の外の世界)を知る人は、偉大だけれど、往々にしてその偉大さは一般人にはわからない。一般人がわかる範囲・程度の善のすばらしさを針小棒大に説明できる人が、一般人受けするもので、そのような人は哲学者ではないけれど、一般人の目に見えて理解のできる点で哲学者より信頼は厚くなる。つまり、洞窟の外に完全に出てしまった人よりは、外の世界があることに気づいた洞窟の入り口にいる人の方が、洞窟の中の人には信頼される。

だから、哲学者が国を作ろうとしても、それはうまくできない。市民に統治者(哲学者)の偉大さを伝えて信頼できる人であることをわかりやすく説明する仲介者が必要なのである。
しかし真の良き仲介者などいない。善を知って近づけば、勘違いして自分が統治者になろうとするであろうし、逆に十分善を理解できていないと、統治者の偉大さがわからずに、やはり自分が統治するにふさわしいと思ってしまう。
歴史がそれを示している。哲学者は王の側近にはなり得ても、王にはなれない。善を知っているだけではだめなのだ。

あえて言うなら、外の世界を知って、再び洞窟の中に潜り、中の人と共に暮らし、信頼を得ながら外の世界の善を伝えることだろう。 宗教家はそのような存在なのかもしれない。 ただ、それも、一つの国となるほどにはうまくバランスがとれていなさそうだ。

善を知ること、それを広めること、みなで善に基づいて国を作ることは難しい。 だから、人は戦争を繰り返し、人の命を奪い、お互いに傷つけあう。

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