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音楽の古典と現代、法律の古典と現代

”世界の教養”12日目。
音楽は二回目だけれど、音大の授業ってこんな感じなんだろうか、とすでに疲れてくる。
それは、音楽はもっと自由な感覚的なものだという、思い込みや期待が先行していたから、こんなにかっちりした話があるとは思っていなかったからだと思う。

でもこうして考えていると、自然に湧き出てくるものも当然あるだろうけれど、過去にできた音楽を聴きながら育って、そのような過去の積み重ねの中にある環境の中で生まれてきた音楽は多いだろうから、やはり音楽にも歴史の積み重ねがあってしかるべきなのかもしれない。

そう思うと、過去の旋律に染められた世界の中で、新たな旋律を生み出し、「現代音楽」と呼ばれるほどに以前と異なる音楽の世界を開いたストラヴィンスキーなどは、やっぱりすごいのだろう。

翻って、法律の世界でも明治~昭和は他国から学んで日本独自の法律を作ろうとした機運があり、当時の法学者たちはすごいと思う。
しかし、それをベースに動き出してしまうと、新しい仕組みを作り出すのはかなり難しく、古典法律ばかりで、現代法律といえるような画期的なものがあるのか、よくわからない。

介護保険制度ができた頃の<措置から契約へ>は、一つの試みだったのかもしれない。
しかし、精神保健福祉法など、ガラパゴス的で世界遺産に登録したくなるほどだ。いまだに小手先だけの修繕を重ねているだけで、根本的な解決になっていないのに、みな満足してしまっている。

音楽は、美しいものを産み出そうという、純粋な気持ちから生まれるから、新しいことを怖がらない。
法律は、残念ながら一人では作れないから、いろんな人の思惑や利害が入り混じり、いい制度を産み出そうという機運があったとしても、新しいことへの恐怖は強く影響し、中途半端になりやすい。古いものを引きずり、新しいものが生まれにくい。

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