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2023.8.29-09.03

 8/29より左アキレス腱断裂のため入院した。大部屋にしたいと思ったのは単純に面白いんじゃないかと思ったからなのと、個室だと逆に気が滅入ってくるような気がしたからだった。大部屋は4人部屋でぼくは3人目の入居者だった。コミュ力が高そうな4人目の入居者は手術後比較的即退院していった。(コロナの影響もあるのかもしれないが)カーテンで4つのベッドは仕切られており他の人の姿を見ることはほぼ無い。隣の人のダンプのようないびきに最初は悩まされた、が、しだいに慣れた。というか諦めた。入院して2日目あたり、手術後の夜あたりからか、通路を挟んで隣のおそらく80代の腰を骨折しているらしいおじいさんが、自分が何者なのかわからんと、ナースコールで呼んだ看護師さんに問いかけはじめた。消灯後の暗い部屋にお力になれるようがんばります、的な若い男性看護師さんの戸惑った声が聴こえた。今日は何日? 何曜日? とも問うこともあった。お母ちゃん、というおじいさんの寝言を聴いた。近頃学生の頃の夢をよくみる、と言っていた。日中時折、「春過ぎて夏きたるらし白妙の衣ほしたり天の香具山」(万葉集)という歌をしっかりとつぶやくおじいさんの声を聞いた。無意識なのかわざとなのかわからないが、おじいさんが消灯後ずっとナースコールを鳴らし続け、看護師さんと険悪になったことがあった。何度も入れ代わり立ち代わりナースコールで呼び出される女性看護師さんたちは、その慣れた口調からして皆まるでおじいさんの母親のようで、それに応じてかおじいさんも甘えたがりの子どもに戻っていくようだった(実に演劇的だと思った)。カーテンで4つのベッドは仕切られているので姿は見えず声しか聞こえず、彼らの姿や表情を思わず想像した。夜の病室の所在のなさに、なかなか寝付けなかった。おじいさんがナースコールを鳴らし続けたのもわかる気がした。確かにここに長くいると、今がいつなのだか、自分が何者かわからなくなってくるのもわかると思った。だからなのかもしれないが、特に話し相手もいないので、これまでの自分の生き方をついつい振り返った時間があった。よした方がいいとわかっているんだが、ああすればこうすればよかったと(そんな時間があれば)思ってしまうたちだ。色々なことをやってきたが、大して積み上げることもできずさして偉くもなれないままなのだった。商業ベースで売れる訳でもなくワークショップで稼ぐ訳でもなく、実に中途半端だなと思った。思えば20代30代で濃密につきあいのあった尖った?人々は自分の周りにはもうおらず、ぼくはいつのまにか年をとって程よく凡庸になったので結果的にこうやって大阪で演劇を続けているだけに過ぎないようにも思える。
 医師や看護師という人々の凄さを身をもって思い知り、畏怖の念と月並みだが深く感謝の気持ちを抱いた。担当の男性医師は若手芸人のようなノリで、いやしかし、それに納得した。主に90年代Jポップ(だからこそその中で米津玄師とあいみょんだけは際立っていたのだった)が流れるあかるい手術室の軽快さ。看護師さんたちと楽しく談笑することなんてできず、なんかずっと恐縮し、自分がひどく情けなく思えて仕方がなかった。この人たちの「仕事」に対してふと何かを返したいと思い、こういった人たちにまでリーチするような、マスに届く表現が、してみたいものだなあと思った。自分ができることはそれくらいしかないということだった。でもそれは商業的に成功する、本当の意味で売れること「仕事」にすることできっと可能になることかもしれないし、でもそれはいまや遅しだし、まあ、もしかしたら、遅くないのかもしれないが。
 おじいさんがつぶやいていた歌のことを思い出す。病室でつぶやかれたあの歌のように文化とか芸術があればいいと思う。

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