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WINGCUP2023総評


劇団片羽蝶「50は(未完)」

 学園もの感(終わらない夏休み感)、エヴァっぽさ、タイムリープもの感etcといった作品を構成する要素一つひとつは既視感の強いものですが、タイムリープの反復をはじめとする時間軸の複雑な展開や、台詞やシーン一つひとつの情報量が多く、脱落していく観客もいるであろうものの、飽きずに集中して観通せる作品になっていると感じます。  
 ただ情報量の多さ故にそれぞれの登場人物がどのような存在でどういう立ち位置で何を考え、何を為そうとしているのかが明確になってくるのが終盤であり、葛城(通り魔に殺されてしまう女子高生特撮映画監督・安井の作るはずだった作品、ミラクルマンの第50話という未完の世界ー繰り返される映画研究部の日常というフィクションの中でキャラクターとなって生き続けることを望む存在)と窪塚(同じくミラクルマンというフィクションの学園生活内のキャラクターであるにもかかわらず、自意識を持ってしまった存在(!)であり、葛城をはじめとする映画部をフィクションの外に解放しようとする特異な存在)という二人の登場人物の対立軸が明確になり、遂に二人が対峙した、というところで作品が終わってしまうことに、(確かにタイトルおよび第50話どおりこの作品は「未完」であるべきなのかもしれませんが、とはいえ)若干の物足りなさを感じたのは確かです。二人の対立構造の明確化とその先にどのようなケリを付けるのか、第50話がいったいどうなるのかというところまで描ききれたとしたら、パンフレットにも書かれていた「フィクションによる現実の救済」という重要な主題についての作り手の考えがより強く現れたのではないかとも思います。そのためか、見終えたときに面白い要素はふんだんに散りばめられているものの、テーマへの踏み込みが甘く、結果的にギミックに終始している印象が残った感があるのですが、前回のWINGCUP参加作品と比較して、同じ団体とは思えないほど興味深く最後まで観られた作品だったのも確かです。次回作も期待しています。

■ 自由バンド「パプリカどろぼう」

 パプリカどろぼうというとにかくなんでも盗む生物が人類のちょっとした脅威になっているらしい世界で、京都へ一泊旅行に来た高校の同級生の女子4人を中心にした冒険譚とでもいうようなSFファンタジー的作品ですが、とても素直で等身大の微笑ましい空気感の作品です。ただその裏に、コロナ禍の数年間とは若い世代の方々にとって本当に様々なものを奪われた時間だったのだということが、あまりにそのままなコロナウイルスのメタファーとしてのパプリカどろぼうの存在を通して伝わる内容(パプリカどろぼうのせいで職場体験が無かった、学生時代最後の思い出になるはずだった修学旅行がなかった)でしたし、コロナ禍をもう物語化できていることも驚かされました。個人的には、比較的短尺の作品ではありますが、もっと尺を伸ばして登場人物それぞれがどのような人物なのか、4人で京都に来るまでの経緯や、あとパプリカどろぼうが現れるこの劇世界のディティールについて、もっと書き込んでもよいのかもしれません。また、最後皆がパプリカどろぼうに「ありがとう」と言えることに驚きました。本当にこの先が心配になるくらいに優しい、なんて良い子たちなのだろうと思い、未来はきっと明るいと思ったのですが一人くらい、ありがとうと言えない(言わない)人がいてもよいかもしれません。

■ sutoα「悪態・Act・かしまし・縁」

 実に達者な俳優たちが揃っていることもあり、コミカルで隙なくテンポよく、ストレスなく最後まで観られるものに仕上がっています。舞台芸術(業界にまつわるあれこれ)についての演劇で、実際の会場であるウイングフィールドを彼らが関わることになる田舎町の新しい大劇場に見立てるところもあり、メタ演劇的テイストもありつつも、演劇になじみのない人でも楽しめるだろう間口の広さ、わかりやすさ、エンターテインメントに徹した作品になっており、それは十分に成功していると感じられます。一方で、文化振興・芸術発展・地方創生といった地方と芸術にまつわる現実的な課題について突き詰めて考えるというものでもなさそうで、演劇青年のホクロのような、東京で活動していてもそれだけで食えているわけでもなく普通にバイトを掛け持ちし友人ともたまに公演前の宣伝としてしか会わない、といったある種のかなしい小劇場あるある的なものについても、じゃあどうしてそうなっちゃうのそれでいいの、というところまで潜ることはないようです。これらの現実に起こっていることや課題を取り上げて扱うのであれば、それについて作り手がどう考えているのだろうか、その思想をもっと知りたいと思ったのが正直なところで、その思想をもってして観客にこれらの現実への思考を促すべき、とまではいかなくとも、ただそうでないと観客はあくまで安心安全にそれらの課題と戯れるところで留まっているだろうということをどこまで良しとするか、だとは思います(勿論入り口としては機能するとは思います)。

■ 劇団ゆうそーど。「この作品には死がたっぷり含まれています。」

 上演形態がリーディングとなり、予定していた形での上演を観られなかったのは残念ではありますが、これはこれで興味深いものになっていると思いました。現在進行形で世界で起こっていることを扱おうとしていた今回のコンペ唯一の作品であり、独特なネーミングセンスをはじめフィクションをつくるにあたっての確固とした世界観も感じられます。
 劇中で流れるイスラエルによるガザ侵攻のニュースのように、今世界を覆っている気分、タイトル通り「死」の空気が敏感に反映され一定の緊張感が持続していく作品で、役を固定しきらないことによる混沌や登場人物の簡素で唐突な死なども自然に受け止められ、個人的に今、凡庸なリアリズムの会話劇にリアリティを感じることが出来なくなっていることもあるのかもしれませんが、この不穏な混沌こそが今のリアルだと思わされるものがありました。ガザ侵攻のニュースの使い方についてもネタ的に劇に取り込んで消費するのではなく、シンプルに反戦的な物言いにつなげていくわけでもなく、結局劇中で稽古後に居酒屋で騒ぐような登場人物たちにとってのBGMとしてしか機能していないー日本に住む現実の私たちの大勢と同じ距離感に過ぎないことが冷静に示されてもいます。その一方で妹(まゆ)の「めっちゃ死ぬじゃん、ふざけんなよ世界、死にすぎじゃん」という劇世界内のフィクションの死に対して発せられたはずの台詞が、私たちがいる現実に向けて発せられたものとして響いてしまうことに観客は不意を突かれるのです。
 そして、ラストシーンのまゆと後藤のやり取りはどのように捉えたらよいのでしょうか。自分がいなくなっても植物が残る・植物になれるから植林のNPOで働いているという後藤はいささか唐突にまゆにプロポーズするのですが、まゆはそれに「お母さんになるのが夢 まずはお付き合いから」「私けっこう子供欲しくて 9人とかだめかな だって身内死んでるんだもん」と応えます。生殖ー種の未来を想定し生に向かう女と、死んで土→植物になって女を見守りたい、死に向かう男という対照的な二人のやりとりは、お金が無いことを仄めかし子どもについての不安を見せる後藤に対して、だったら強盗とか殺人とかすればいい、他人なんだからどうなったっていいじゃない、というまゆの恐ろしい返答にまで至ります。死は誰にとってもどこにいても理由なく様々な形で平等に訪れますが、最後に聞こえてくる赤子の泣き声が示すようにまだ人間は日々生まれてもいるということ、減ったり増えたりするただの生き物としての人間のふてぶてしさ/力強さと、まだ今のところ私たちに未来はただある ・・・・らしいということ(『私たちは、未来を考えるとき、私たちの死後も生きのびる人間がいること、私たちの死後に新たに生まれる人間がいることを、まったく疑うことなく前提としているわけです。(略)逆に言うと、現在の人間が生殖を行なうことが、そのような未来を可能にしている(小泉義之)』こと)が、突き放した筆致でここでは描かれているように感じられるのです。優秀賞おめでとうございます。

■ 刹那のバカンス「半壊の館」

 スケールの大きい作品を作ろうという気概は素晴らしいと思いましたが、この世界観においてそして作り手の中で、まず人間とは何をもって人間なのでしょう、それに対して人造人間というのはどういったものなのでしょう。少なくともこの館の中において人造人間という存在が無条件に人間より低い位置に置かれていることに対して抵抗しない理由は何なのでしょう。人造人間たちはどうして館の外へ出たいのでしょうか、そしてどうして館の外に出てはだめなのでしょうか、では館の外にはいったいどんな世界が広がっているのでしょうか。まずそういったところから考えはじめるとよりよいのかなと思います。

■ ナハトオイリア「君がいなくなって」

 時代を経ても若い人がこういった形式のものを衒いなく作ることへの感慨がありますが、パンフレットの文面とあわせて観る限り、作り手の切実な動機で作られた作品であることも感じられ、過去幾度となく使われてきたフォーマットのお話ではあるものの、ストレートに丁寧に劇の時間を積み上げようとする姿勢に好感を持ちました。それに応える形で、変化の少ないほぼ素舞台の中で3人の俳優陣もまっすぐに健闘していたと思います。
(ただ好みが分かれるところですが全てを台詞で表現しすぎている、書きすぎている感もあり、俳優陣が健闘しているからこそもう少し俳優の非言語的な佇まいに委ねる時間があってもよいのではないかとも。)
 ただやはり、はたしてこの作品はあのうだつの上がらない漫才コンビ・ロンリークラウンの単独ライブ開催というよくある「成功」で終わらせてよいのだろうかとも感じます。3人がそれぞれに抱える親の過干渉や暴力、貧困といった様々な家庭の問題についても有耶無耶気味のまま終わっているように感じられたということに加え(ちなみに後夜祭において、家庭の問題を乗り越えるにあたって親との衝突がないことの新鮮さについて指摘がありましたが、それが意図的なものか無意識なのかは判別がつかないのはさておき確かに興味深く、ただその確執とその乗りこえの欠落が、家庭の問題についても有耶無耶気味のまま終わっているという感触につながっているとも感じられます)、あのようなかたちでマネージャーの女性を死なせてしまうと、どうしてもロンリークラウンが成長し最終的に商業的に成功して終わる作劇のために殺したように(勿論たとえそうではないとしても)感じてしまったのも確かです。全てがロンリークラウンの商業的成功に収斂していく構造を、ハッピーエンドのかたちをもう少し疑ってみてもよいのかもしれません。あの3人の幸福は様々なかたちでありえたと思われますし、それはどういったものになるのか考えてみるのも良いと思います。それは誰に言うともなく私自身も含めてなのですが。

■ 白いたんぽぽ「初心者のための永遠」

 審査会ではほぼ全ての審査員が言及していましたが、舞台美術先行のクリエイションがとても効果的で、ビジュアル・空間設計と内容が不可分であり相互に補完し合えている理想的な関係を築けていたのではないでしょうか。女子寮/水族館/駅のホームという3つの舞台設定および四角い孔の開いた壁に区切られた3つの空間を、3人の登場人物たちが行き来する中で語られるエピソードー例えば一匹一匹が集まることで一人の人間の形に見える水族館のイワシの群れの話、スマホでやり取りはするが互いに部屋番号がわからない故か決して同じ部屋の空間に集うことがなく、隣同士なのかもしれないし遠く隔たった部屋にいるのかもしれず位置関係が曖昧で全体の規模感もいまいちわからない、「ときどきぽっかりと宇宙に浮かんでるんじゃないかと思う」ような奇妙な女子寮の部屋とその住人たちの話などのように、この作品からは明確なストーリーラインはない代わりに、イメージの緩やかな連鎖が浮かび上がってくるようです。そこに通底するのはこの私、この空間における私、私のいる空間およびこの私そのものはどこから始まっておりどこで終わっているのかという自他の始まり/終わりの境界線の曖昧さとその揺らぎであり、それは部分は全体であり全体もまた部分にすぎず、それぞれ独立した薄い壁の部屋を持ちつつも繋がり無限に増殖していく(アフタートークでも言及されたような)細胞群のようなイメージをも喚起させます。「初心者のための永遠」というタイトルーおそらくこの作品は主に時間的というよりは空間的な永遠について扱おうとしているのかもしれません。
 とはいえ、野放図に自他の境界が溶けてなくなっていくイメージを放り出す作品では決してなく、舞台美術も示すように人と人を分かつ境界線は曖昧だが確かにある、だからこそ、私とあなたが違うことに気づいてしまうことが引き起こす、夜中にふと目覚めた一瞬の豊かな孤独の時間も示されます。なぜ私は私であの人は私ではないのだろう、例えば電車に乗っている一人の登場人物のモノローグのように、「ここにいる一人ひとりが全く別なことを考えている」こと、私と傍にいるこの人は違うという至極当たり前のことのとんでもなさ、誰もが年齢を重ねるにつれそれどころではなくなっていき麻痺していくささいな感覚ではあるけれど、偶然同じ電車に乗り合わせている一人ひとり、街ですれ違う一人ひとりにそれぞれの人生があり、でもその殆どの人々とこの私は名も知らず深く知り合うことなくいつしか死んでいくことのとんでもなさ、途方もなさ……「ずっと隣どうしでいよう、隣り合っていればどこだって隣になる、国、惑星、宇宙、銀河…」(多少不確かかもしれませんが)という台詞のように、空間的な永遠を微分したとしたら、無限に続いていく様々な隣どうしたちの画になるのかもしれません。そしてその画のなかに私たち一人ひとりも一人ぼっちのままで恐らくそこにいるということ、その豊かな孤独の気配を掬いとることができる作り手は個人的に信用に値すると思うのです。最優秀賞おめでとうございます。

■ 後記

 同じく審査員を務める広瀬さんの総評と、レヴュアー特設サイトもよろしければあわせてご覧ください。時間・分量的にあらすじは省きましたが、レヴュアー特設サイトのほうにしっかり書かれているものもあるので、気になった方はそちらを。
習慣HIROSE第14回 ウイングカップ について
​WINGCUPレビュアー特設サイトWINGCUP2023レビュー

 審査員として10年目のWINGCUPが終わりました。とりあえず10年続きました。総評はなんとか、7本目。だれが読んでいるのか、そもそも読まれているのか。いつも特に反応があるわけでは無いのでわからない。なにもないのに続けるのは大変なので続けている人はすごいと思います。
 もし内容面での誤りやその他ご指摘などありましたらご連絡ください。よろしくお願いします。

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