「体は記憶する」を読んでのビブリオエッセイ

「不都合なんて、あって普通 だって人間だもん」

そもそも、普通ってなんだろう。
見えるパーツが揃っていたら、それは普通?
それじゃ、脳は?
脳の塩梅でだって、障害と言う。
それじゃそれじゃ、どう見ても普通じゃない天才脳の人は?普通じゃないから障害者?

私は、見かけのパーツは普通に分類されると思う。最近の年と職業のせいでグーが握れなかったり、魚の目が痛くておかしな歩き方になったりはするけど、大まか普通でいいだろう。

しかし、見えているところだけが、人間のパーツじゃない。
もしも、私の体の中まで見えたら、私はパーツが欠けた障害者だ。
胆嚢、卵巣、子宮がない。
見た目のパーツが3つなかったら、えらいこっちゃの障害者に違いない。

胆嚢をとった後、消化酵素不足で、油物が食べられなかった。大好きな焼肉が食べられない。
今じゃ、何にも気にせずに食べられている。
卵巣や子宮の方が、厄介かもしれない。ないはずなのに、にやにやとか重い感じとか、女性にはわかるだろう、あの周期に合わせて不愉快な感じが何年も続いた。

何十年も繰り返されているうちに、臓器からの指令がなくても、脳が勝手に「にやにやおもおも、ニヤニヤオモオモ」と指令を出しているとしたら、なんとも、ホウレンソウができていないやつだ。
「事件は現場で起きてるんだ!!」
あっ、もとい。
「現場がありません!!」
なのだ。

脳は、賢そうに見えて、大事なことは忘れるし、勘違いで自分を困らせるし、ぬか喜びだって勝手にするし、この歳になると「思い込み」が強くなると言うことも、なかなか厄介だ。

誰でも、不都合なパーツ(性格も含め)はいくつもある。
それらを、塩梅よくカバーしながら生きている。
他人様から見たら、不自由そうに見えても、当の本人には、慣れたカバーの仕方があり、それが当たり前になっているのだろう。
あたりまえなことに、外野がわちゃわちゃ言うことでもない。見守ればいいだけなんじゃないか。


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