装いというおもてなし


今日、ふと洗い物中に感じたこと。

『装い』っておもてなしだな、ということ。


数か月前に、とある方に魅力的な仕草や振る舞いをご教授頂いた。

その時、『ファッションはおもてなしである』という、その方の在り方に触れ、感銘を受けた。


で、その時思考で理解したことが、なぜか今朝急に体感的に腑に落ちた。笑


洗い物してる時に目に入ったのは、今自分が着ていた服。

この頃、少しかしこまった場に行く時によく選ぶ暗めの色のニット。


で、これを着ていて暗めの気持ちにはなれど、明るいような、気持ちがやわらぐような、そんな気分になることはまずない。笑

シルエットも、Vネックでカチッとシュッとした印象なのだ。

ちょっと自分を場に合わせて、『きちんと感』を出したい時に、白シャツと合わせて着るようなタイプ。


洗い物の前には、その格好でゴミ捨てへ行っていた。

その時、清掃の人とすれ違った。

正直、収集時間ぎりぎりで急いだとは言え、ドすっぴんで(しまった!)と思った。笑


その時のことを思い出しつつ、視界に入るセーターから暗めの印象を感じつつ洗い物していたら最初に書いたことが腑に落ちた。


例えば、もしすれ違う相手にでも。

相手にほっとした気分を味わって欲しかったら。又は季節の味わいを共有しようと思ったら。

私は淡いカスタードクリームの様な色味の、柔らかな素材の女性らしいふわっと感のある、ニットを着ただろう。


↑こういう目線で、今まで服を選んだことがなかったのだ。


例えば、買い物で私の服を選ぶ基準は、

1. 感覚的な第一印象

2. 素材、シルエット

3. 私のパーソナリティに合っているか

(自分の素材を引き立ててくれる服か)


で、相手にどんな印象を与えるか?どんな効果があるか?は

最後に来るし、

それも

『(私の服装は)相手にどんな印象を与えるか?どんな(私の印象)効果があるか?』

という、気にするのはあくまで『私がどう映るか?』というところ。


『相手の気分』というものを、私の印象から独立させた上では、考えてこなかったと思う。


なんていうか、『自分を表現するためのファッション』か、

『相手へのおもてなしのためのファッション』か、の違い。

仮にビジネスシーンで同じビジネススーツを着ても、細かな部分で全く違う振る舞いや気遣いが生まれるんじゃないかな、と思う。


そして、設定変更大学でのお稽古を通して、自分が何を感じてるか?を

意識的に自覚して感じるのと同時に、感じる瞬間が増えなければ、この視点の理解も及ばなかったと思う。

ずーっと、外からの視点や、形式的な視点しか持てないだろうから。


季節の移り変わりの美しさや、一瞬一瞬の儚さ、だからこそより豊かに感じられる季節の巡りや、季節イベントの楽しさ。味わい。

夏には夏の香りを感じさせるやり取り。秋には実りの秋らしさを感じるやり取り。

お手紙や、日々の他の大学生さんのノートシェア等々を通して、そんな季節に対する感覚も養われていたことを改めて知る。


『表現すること』


一言で言うとこれに尽きるのだけど、最初はノートの中や身近なものにとどまっていた『表現』が、段々と確実に増えていくのを感じる。

服で自分の魅力以外の何かを表現するなんて、どんなファッショニスタよ?と思うぐらい、おもてなしの心も、表現も、服とは結び付かない遠いものだったのだけど。

そしてそれは究極

『私はどう生きるのか?』


という現れなのだと思う。


本来すでに、そんなことを考えなくとも言葉にせずとも、

皆なにかしら自分を100%表現して生きているし。


瞬間瞬間の、選択を身をもって表現し続けているし、これまでもずっと表現してきたのだ。

いつだって、自分の命懸けの選択をしているし、してきたのだ。

それを、忘れずにいたいと思う。








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