承認欲求と憧れ


今日の設定変更手帳に取り組んでいて、出てきたキーワードから承認欲求の気づきを得た時を思い出したので、今日はそれを書きます。



ちなみに手帳の今日のお題は

10/24【眩しい存在、とは?】


このお題を展開していく中で、『すごい』というキーワードがたくさん出てきました。

私にとって、眩しいと感じる時は『すごい』と感じる時なんですね。


で、この『すごい』と感じること一つとっても、承認欲求からきてたであろう『すごい』と、承認欲求の気づきを得たあとの『すごい』では

なんだか、感じるものが違うな~と思ったんですね。


というのも、少し前に

さきこさんのこちらの記事

https://ameblo.jp/petite2325/entry-12523145634.html


この意味が、一年越しに腑に落ちたな~と思うことがあり、

そこから自分の中でどんどん外を見てた目線が内へ内へと向くようにもなりました。



私自身も、長年『自分の存在価値を実感するため』に

色々なことをしていたんだな~と気付いたんです。

それは、学ぶことも、人付き合いも、生き方さえも、

『外側で自分の存在を感じる為』

という動機があることに。


設定変更に出会って、

他人軸→自分軸へのチェンジに成功したと思って

もうここ何年かは自分軸で生きてきたと思ってたけど、

まだまだ他人軸で『私の価値も幸せも外側次第』

だったことに気付かされて。


そこから、また外へ向いてたであろう意識を、より内へ内へと意識して過ごしていました。


その時得た気づき、は色んなことと繋がっていて、一言では上手く言い表せないのですが、『外側にしかないと思っている、外側の反応を通してしか感じられないと思い込んできた《すごい》も《強み》や《パワー》も、全部自分だけで感じることができる』

そんな、気づきでした。


で、今日の手帳から感じた話に戻ると、『すごさ』を自分の価値とくっつけて外側に見てた時は、同時に自分と『すごさ』が切り離されている感覚だったけれど、

今思う『すごさ』はシンプルに対象の生き様へのリスペクトからくる憧れとして感じてて。

無駄に、自分の劣等感に引き込むカタチでの『すごい』じゃなくなってるのかな~と、そんなことを思いました。


なんていうか、前は『すごい』と感じると同時に、(チクン)という胸の痛みが結構発生していたのです。笑

自分にはないものとして、手に入れられないものとして見ていたからからかな?と思いますが。

尊敬する対象へ、無駄に変なものを乗せずに、『すごい』と思えることが、嬉しいなと感じた今朝でした。





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