最近のお稽古

設定変更大学での、これまでの学びをシェアするつもりが、

違うことをどんどん書くようになってnoteって面白いなって感じてる。笑


サユラさんのブログを読んでいたら、最近のお稽古を思い出したので書く。


読んだ記事はこちら

https://ameblo.jp/k-sayura/entry-12632638758.html


>今では、ぜーんぶ体験だと思えるようになりました。

>何かが変わった、ということじゃなくて体験だと思えるようになったといういうことなんです💖

>たったこれだけで、すんごい楽になりました。


この個所を読んでいて、気づいたのだけど、

そういえばあんまりこの

『こう思うようになって(感じるようになって)楽になった』

的なことって、あんまり書いたことなかった気がするな?と思って、ちょこっとずつ書きたいな、と思いました。


最近意識的にお稽古してるのが、この

『全部体験』だという部分。


例えば、少し前に私の中でめっちゃ『損に無自覚に無意識で掛けてた自分』がどんどん見えてきて、意識的に軌道修正し始めたばかりで。

もう、日常レベルで細か~く、『損をカウント』してるんです。

そもそもで「損得」の存在する世界に身を置いているから、いちいち目の前の出来事も、自分から出すものも、全てに『損得ジャッジ』が入る。オートで。

で、さきこさんがノートブックセミナーの中で『そういう(基準を設けてはかるのを)のをやめる』と背景が変わらない質問に対して答えていたのを参考に、私もやめてみよう、と思って始めたこのお稽古。

書いてて気づいたけど、やっぱり『やめる』と決めたらいつもいつも自覚するようなことが起こってくる。笑

どういう仕組みかは知らないけど、意識に立ち上ってくる。


それで、やめる中で、だんだんと『全ては(損や得、正誤もない)経験』として、自分を通す意識が育ってきた。

損した、欠けた、減った、失敗とそれまでなら感じてた経験も、

「・・という経験を得た」と意識的に書き換えるだけで、せっかくの「経験」ただの「経験」に損を乗せたりすることで、

無駄にエネルギーをまき散らさなくなってきた気がする。


だって、何かが「損なわれた!」と思うから(そういう設定の世界だから)感情が騒ぐわけで。

それが好きならいいけど、私は二極の基準をやめてさきこさんの言う「対等の世界」をどんどん見てみたいので、やっぱり言われた通りにやってみて、

新たな世界で感じることがとても新鮮だし楽しい。

(自分に意識的になればなるほど、逃げ道はないけれど。笑)


子どもの頃からマーフィーの法則本とかが身近にあって、そういう話をする大人の中で育って、大人になってからは自分の意志で自己啓発に傾倒していって、

夫婦関係をきっかけに今度は心理の世界にのめりこんで、何年も経つけれど。(そこからさきこさんを知った)


知れば知るほど、学べば学ぶほど、

設定変更がほんとうに好きだなぁ・・と、何度も感じる。


地味で、穏やかで、シンプルで、優しくて。

それまでの自分を直視する中での痛みや絶望はあるけれど、自分が自分に気付き、知る過程で勝手に自己肯定感も、健全な自己愛も育つし。

それを獲得しようとしてするあらゆる方法は、私もやってみたし効果もあったけど(アファメーションや、自己信頼を積み重ねる為の行動とか)

やっぱり女性には『感じる』ベースの設定変更がとってもオススメだなぁ~と思う。

わざわざ取ってつけたような努力をしなくても、元々備わっているものを、活かせるのですごく自然で。


『全て喜び』『全てが対等な経験』

とするのか

『正解・不正解がある』『成功・評価されることこそが価値』

みたいな世界で生きるのか。


どっちが、好きか。正解はなくて、

自分の体の感覚が、教えてくれると思う。

そして、『全て喜び』という真理に自覚的でいるからこそ、

フラットに様々な選択と、選択に伴うあらゆる結果も引き受けて自分に経験させてあげられるんじゃないかと思う。

(正解・不正解がある世界でやると、失敗や損は許せないわ間違えられないわで、選ぶことにめちゃめちゃエネルギー消耗して、疲れるじゃん!笑)







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