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差別はどこから生まれる?

本日、2020年2月1日英国がEUを離脱しました。

3か月ほどロンドンに住んだことがあり、経緯を見守っていたところ、
ブレクジット下の英国の生活を描写した「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」という本に出合いました。

人種、学力、経済、文化、宗教、セクシャリティなどいろんな分断・差別がでてきます。
中に「僕は、イングリッシュで、ブリティッシュで、ヨーロピアンです。複数のアイデンティティを持ってます。」というフレーズがあり、なるほどな、と思いました。
人は、なにか一つのラベルで表現できるのではなく、多様なラベルを同時に持っていて、更に言うと、ラベルがいくらあっても足りないと思います。

例えば、松村のラベルは、
男性、中高年、小太り、理系、B型、都民、関東人、日本人、アジア人

一つのラベルで、比較、差別するのではなく、多様な人そのものを見ないといけないですね。
本でも、主人公がアイデンティティに悩みながらも、人を理解する過程が詳細に描かれております。

初めての人と接する時に、その人から入るか、何かのラベルから入るか。
ラベルから入るとその人の理解までいかなそうです。
ラベルづけは、仲間意識ができると同時に、そこに属さない人への排他意識が生まれるので、慎重に使っていくべきかと。

一方、日本に目を向けてみると

新聞・週刊誌の見出しなど、人種、性的マイナリティ、障がい者などラベルには事欠きません。

多かれ少なかれ、人間は、他人と比較して「自己肯定感を高め」たり、「嫉妬」という感情を持つ欲求があるので、ラベルはそれに便利なのかもしれません。そこには差別と分断が発生します。

でも、人間の存在価値は皆、同じだと思います。
みんな、幸せに生きたいと願っている。
これを実現できる社会を目指したいなあ。
それが「チームワークあふれる社会」なのかもしれません。

障がい者雇用均等法など、社会の仕組み(法制度)を作るうえでラベルは必要だとは思いますが、人が人と接する場では、ラベルではなく人を理解し、運用してほしいと願います。
自分も、人と接する時はラベルを使うのではなく、特徴や特性で理解しようと思います。

地球人

パタゴニアというアウトドアアパレル企業をご存知でしょうか。

会社のビジョンは
「私たちは故郷である地球を守るためにビジネスを行う」
 We are in business to protect our home planet.

この企業のスタッフは、日本人とかではなく、地球人というアイデンティティを強く意識しているようです。彼らから見ると、人類は皆、同じグループなのかもしれません。今度訊いてみようと思います。
アッ、松村のラベルがもう一つありました。地球人。


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