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コロコロ変わる学校名

明日が締切ということで、一応書いてみるかなあ?と思い立ちました。
別の記事も書いてみたのですが、「法律系」の内容がきつめな記事なので、読んでいてブルーになったもので💦

私のレア体験は、「高校での転校生」+「学校名の変更」。これは、結構レアだと思います。

高校入試

現在は福島在住ですが、中学校生活+高校入試は、青森で経験しました。
ちなみに、住んでいたのは「南部地方」。それも、岩手県に近い地域です。
距離にして、20kmくらいでしょうか。
そのため、同級生の中には「岩手県」の県立高校を受験する人もいました。
ここで戸惑うのが、「自治体の違いによる公立高校入試制度」の違いです。わかりやすく、入試の点数で比較しましょう。

青森県立高校

青森県の県立高校は、各教科100点✕5教科=500点満点でした。多分、全国的にはこのパターンが一番多いのではないでしょうか。
ちなみに、中3秋くらいまで志望校として狙っていたのは、八戸西高校。
あまり偏差値によるランク付けは好きではないのですが、三八さんぱち地区ではやや難しめの高校です。

https://jyuke-labo.com/koukoujyukentaisaku/aomori/hatinohenisikoukou/

一応、この学校の合格ラインに達する成績を修めていたとだけ、申し上げましょう。
ですが、冬休み直前に、突然父が「福島へ戻ろう」と言い出し、本当に仕事を辞めました。
そしてパニックになったのが、「高校はどうする」という問題。割と経済的には苦しい家庭だったので、高校の選択肢は公立高校しかありませんでした。
父の仕事が決まったとしても、福島で受け入れてもらえるのか、また1年生の早い時期に枠の空きがあるかはわかりません。話し合いの結果、「まずはどこの高校でもいいので、確実に入れる青森の高校に入ってから考えよう」ということになりました。

そこで、学力的には大幅にランクダウンした高校に、志望校を変更したのです。
ただし、福島の高校に編入する際に、青森県立高校入試の成績も考慮されるかもしれないということで、結構ガチで入試に臨みました。

余談ですが、少しだけ通った高校の先輩には、「黒柳徹子」さんがいます。

福島県立高校

自分自身は経験しなかったものの、後で教育業に従事したので深く関わったのが、福島県立高校の入試制度です。
今でもそうですが、各教科50点✕5教科=250点満点
学校によっては、傾斜配点(特定の教科の点数が2倍などになる)を採用しているなど、割と計算が難しいのが特徴です。

おまけに、高校入試の問題の難易度が、なぜか全国でも高めの方なのですよ。
さらに私が現役だった頃、福島県都市部の公立高校は「男女別学」が基本。さすがにあの頃でも、公立高校の別学は、福島や宮城・栃木くらいだったでしょうか。
そんなわけで編入できる高校探しには、非常に苦労したようです。

当時、候補に上がっていたのは「福島西女子高校」と「○○女子高校」。
春の入試が終わった段階で空きがある&そこそこの学力の高校が、この2校のみでした。

結果としては、後者を選択。青森県立高校の入試が終わっても、日々福島県立高校の入試過去問を解きまくり、新学期が始まってからは、通常の高校の授業の予習復習と併せて、まだ受験勉強をしていました。

「○○高校で編入試験を受けさせてもらえるらしい」と連絡があったのは、確かGWが終わった5月中旬くらい。高校初の中間テストが終わった後、久しぶりに福島の土を踏み、編入試験に臨みました。
確か、国数英の3教科で、新入生用の進研模試(現在のベネッセ)が編入試験で、その結果と中学校の内申書、そして青森県立高校の結果(自己採点で350点位)で判断されました。

同校の生徒の平均と比較しても割と良かったのか、編入試験の当日だか翌日にはあっさりと「合格」の知らせが。

そんなわけで、「福島県立○○女子高校」へ編入しました。これが、高校1年の6月の話です。

おまけ~岩手県立高校

今では各教科100点満点に変わっていますが、私の頃は、各教科60点満点✕5教科=300点満点でした。
これだけでも、ややこしい。
後は、岩手県立高校を受験する生徒は、青森の県立高校を受験できなかったと記憶しています。
ですが、当時八戸地区の高校と三戸郡内の高校で偏差値に結構開きがあり、その中間くらいの成績の人は、岩手県立高校を受験していました。
確か、福岡高校が通学圏だったはずです。
そんなわけで、中学校では岩手の県立高校の過去問もよく解かされていました。

まさかの共学化

月日は流れ、2年生の秋だったでしょうか。この頃から、福島県は「共学化推進」の波が押し寄せていました。
第一弾は、富岡町にあった「富岡とみおか高校」。そして、その翌年に「共学化第二弾」が5校発表され、その中に私の母校が入っていたんです。
元男子校はいいんですよ。そのままですから。問題は、「元女子校」です。

上記の文章からもお察しかと思いますが、元々の学校名に「女子」の文字が入っていたために、学校名は変更する流れになりました。

候補に上がっていたのは、

  • 城陽じょうよう

  • 桐陽とうよう

  • 松陽しょうよう

の3つ。城と松は、まあ分かるのですが(学校の敷地が元城跡、かつシンボルとなる松の古木があった)、「桐なんてあったっけ?」というのが、当時の認識でした。

ですが、生徒たちのアンケート+同窓会の意見なども取り入れられ、結局は「○○桐陽」の名前に変更。
三年時からは、この学校名に変わりました。

もっとも、「男子生徒」が入ってきたのは、一年生のみ。
学校が共学になったと言っても、上級生の教室は「女の園」そのものでした……。
なので、高校は実質「女子校」育ちです。

複雑な履歴書

そんなわけで、私が履歴書を書くと「学歴」の欄がいやに長いです(苦笑)。
小学校は福島県、中学校は青森。そこまではいいとして、高校は入学から卒業まで学校名が一貫せず、しかも入学してわずか二ヶ月で「編入」。
なかなか、ここまで複雑な履歴書を書かなければならない人は、そうそういないでしょうね。

案の定というか、事あるごとに「学校名がコロコロ」変わることを突っ込まれ、今や「ネタ」にできるくらい、たくましくなりました。

まさに、「私だけかもしれないレア体験」。
そんなわけで、この企画に応募してみました。
履歴書に高校名が三種類も入る人なんて、滅多に存在しないと思うのですが、どうでしょう?

©k.maru027.2023

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