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音楽遍歴のはなし その1

自己紹介の場で趣味を答えるとき、あるいは履歴書などの趣味・特技欄を埋めるときは「楽器演奏」や「音楽鑑賞」とすることが多い。

それほど物心がついた頃から音楽が好きで、学生時代に所属していた部・サークル活動は音楽系のみ。音楽に対する造詣は決して深いとは言えないが、音楽が人生において大きなウェイトを占めていることは間違いないだろう。

ここで、自己紹介と棚卸しも兼ねて、自分の音楽遍歴(今回はほぼ吹奏楽遍歴?)について振り返ってみる。

幼少時代

ごく普通のサラリーマン家庭で育ち、ピアノなどの音楽的な専門教育は一切受けていない。ただ、両親共々音楽が好きだったので、ドライブでは必ずカーステレオから音楽が流れていた。

SMAPやPUFFY、野猿、ポケットビスケッツなどの当時(90年代半ば)の流行曲であったり、TUBEや高中正義、嘉門達夫など明らかに親の好みであろうアーティストの曲が流れていた。

その中でも、嘉門達夫の替え歌メドレーをめちゃくちゃ気に入っていた時期があり、両親が少し引くほどヘビーローテーションしていた。本当によく聴かせてくれたな…と今になって思う。

中学時代

当時の母校は1学年100人程度…と人口の多いベッドタウンである地元では有数の小規模校で、生徒数と比例して部活動の数も少なかったため、運動に自信のない僕は卓球部か吹奏楽部で迷っていた。結局のところ、吹奏楽部へ入部。

楽器は、顧問の「似合っている」というひと言からチューバを担当。しかし、すでにパートの上級生が辞めていたので、パートは初心者の僕一人…。なんとか上達する術を得ようと、学校に置いてあった「バンドジャーナル(注1)」のワンポイントレッスン(注2)をよく読んでいた。もはや師匠と言っても過言ではない。

大会の成績は決して目立ったものではなかったが、他校と合同で演奏をするなど定期的に外部からの刺激もあったので、演奏する醍醐味はしっかり得ることができたと思う。吹奏楽に対して強い興味を持っていなかったが、高校でも吹奏楽を続けようと決めた。

高校時代

地元の公立高校へ進学し、部活動見学期間初日で吹奏楽部へ入部。この吹奏楽部は、OBOGとの交流機会が定期的にあることから縦の繋がりが非常に強く、また地元でも比較的活動が盛んな学校である。

そういった環境とプラスして、CD音源など部が所有するアーカイブも豊富だったため、よくCDを借りて家でひたすら聴いていた。ますます吹奏楽が好きになり、良い意味でも悪い意味でも「吹奏楽オタク」と化していた。

特にこの3年間に聴いてきたのは、吹奏楽曲とクラシック音楽ぐらい。きちんとJ-POPを聴いたのも部活引退後、友人から借りたコブクロのベストアルバムが初めてだった。

その弊害?か、mixiの日記のネタが尽きて、早々と吹奏楽ネタしか書かなくなり、友人から「もっと他に日常ネタはないのか」とツッコまれた記憶がある。それほど部活一辺倒、吹奏楽一辺倒だった。

(注1)バンドジャーナル…1959年に創刊された音楽之友社出版の吹奏楽専門の雑誌。吹奏楽経験者なら一度は読んだことがあると思う。
(注2)ワンポイントレッスン…バンドジャーナルのコーナーの1つ。国内外で活躍するプロの演奏家がパートごとに正しい奏法や上達するための練習方法などについて解説。

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