Fラン大学生が3年間のフリーター生活から上場企業で年収600万になった話②〜AUSワーキングホリデー生活〜

医学部受験をあきらめた自分は正直、仕事なんて何でもいいと思っていた。○○○○で困っている人を助けたいとか、○○○○業界で働きたいなど全くイメージがわかない。医者でなければどれも一緒のように感じていた。それにFラン大卒業かつ3年間フリーター生活の自分に何ができるのだろうか。とりあえず「海外でもいってみるか」というよくあるパターンに乗ってみることにした。幸いながら英語は幼稚園の年中か年長ぐらいから習い、小学校1年生か2年生ぐらいの時には英語の物語を暗唱できたり、小学校3年生で中学卒業ぐらいのレベルになっていた。学校の英語で苦労したことはないし、「どうにかなる」という気持ちでAUS行きを決めた。ビザを自分で申請し、航空券を取り、現地のホテルを1週間予約。何の情報収集もしないまま、とにかくシドニーへ向かった。初の単独海外だった。

乗り換えも入国審査も特に苦労することなく、空港からの電車もなんとなくでいけた。安い、暗い、決してきれいとは言い難いホテル。でもとにかくやらなければいけないことがたくさんだった。すぐに家と仕事を探して、できれば語学学校にも行きたいと思っていた。あとはとにかく街中を歩いてみた。何の下調べもしていなかったこともあって、現地に住む日本人に話を聞くつもりだった。AUSのタウンホール駅を出て、無計画に歩いていると日本語が聞こえた。すぐに話しかけた。「留学エージェントとかそういった類のとこ知ってる?」4人組の若い子たちは快く知っているところを教えてくれた。そこは携帯も売って、語学学校への紹介もやっていて、確か旅行関係も取り扱っていたと記憶している。

そんな行き当たりばったりで携帯を買い、家を決め、引っ越して仕事探しに精を出した。語学学校のトライアルにも参加したが、「うん、結構金掛かるな」と思い、断念した。正直社交的な人や、そんなに英語は頑張らなくてもいい人は語学学校なんて行く必要ないと思った。でも自分のようにどちらかというと内向的な人間は強制力を持ってコミュニティに入る、話す環境に入っていくことが後々苦労しなくていいと思う。

住むところは日本人が多いところにした。家ぐらいストレスを感じない生活をしたいと思ったから。その家の住人たちとはいまだに繋がりがある。本当に良い出会いだった。そんなこんなでAUS生活が始まり、次に仕事を見つけようと思っていた。

「いきなり普通に働くにはハードルが高い。」そもそも英語で面接もしたことなければ履歴書もない。でも日本食レストランで働くのは嫌だし、どうしよう。。。という感じで職探しは大変だった。英語の能力が相当ある人は問題がないのだろうけれども、日常生活に支障がないだけのれべるだったら、職場だけでも日本で準備しておくべきだった。オフィスワークの壁は高かった。その中でも会社説明会に行って、面接して1社に引っかかった。「ファンドレジング」という言葉をご存じだろうか?簡単に言うと寄付金を集める仕事である。フルコミッション制で個人宅にマンスリーの寄付金契約を取ってくる仕事だ。契約が取れないと給料はないが、誰に迷惑がかかるというわけでもないので気が楽だった。あといろんな人に会える仕事だった。あの仕事をしなければ私はアフガニスタン出身のおじいさんと雑談をすることなどまずなかっただろう。そんな仕事を1年半経験し、本格的に日本で働くために帰国した。

日々いろいろなことが起こったが、新たな土地でスタートを切るのはとてもいいと思う。自尊心や恥ずかしさが1/1000ぐらいになって、思うがままに行動できるような気がする。そういった意味で「自分探しの旅」というのは一般的に揶揄されるほど悪いものではないと思う。だってそれなりに苦労するし、本人たちは結構頑張っていると思うから。日本人はまだまだ外国人への免疫があるひとが少ない気がする。お金さえあれば、言語スキルが最大の壁だと思うので、そこの克服には多少お金がかかっても時間をかけて取り組むと生きるうえでの財産になると思う。まだまだビジネス英語ができるだけで仕事には困らない世の中であると感じている。