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アウトプット

書きたいことが定まってるわけじゃないけど、書いておかないと気が済まない気がして、なんとなくで書き進めている

人に届けるとゆうよりも自分用である

最近、いろんな勉強をしてて、ビジネスやら、なんやら諸々と手を出しているのはいいのだけれど、結局何事も始めるのは怖くて、でも職場も変えたくて、色々と構想はあるのだけれど、難しい

最近は世の中が行動行動に偏りすぎてて、理解が追いつかないままに行動できない自分としてはだいぶしんどいものがあったりする

何かを始めるときにこれはこれが正解というものがないと分かっていても最低限の答えを求めてしまう

分析や調査なしに行動しても無駄足になると思ってしまうからだ

水泳をしようと思っているのに走り方を覚えても仕方がないのだ
そういうミスをしたくないし、なんだか、やってみてそれは
陸上っていう競技だよと教えられたとしても自分がしたいのは
水泳であって、とりあえず今までのものを無駄にしないでおこうと
陸上で妥協はしたくないのである

※例えなので陸上が嫌いとかではない、実質昔陸上部だったのだ

それで結果が出れば結果オーライという人もいるけれど
やっぱりあれをしておけばと後悔が残る気がする
それであれば最初から水泳の勉強をある程度したいのである

学びで1番難しいのはアウトプットかもしれないと思い
このタイトルになっているのだが、リスクがある
でもそれはなんに対しても言えることであって
怖がっていては何もできないと言い聞かせる

朝と夜で言えば自分は夜の方が頭が冴えてると思う
でも社会はどんどん朝活に目を向ける

でも朝はどちらかというと社会むけな自分であって、素の自分というか自分の内面や頭のごちゃごちゃを退けながら、自分がどうしたいかとか、心の中の細い一本の光をみるには夜の方が見やすいのだ

規則的な生活が、いいと世の中はそういう
そのほうが社会活動で都合がいいからだ
だが人間も動物だ、本当は好きなときに起きて
好きなときに食べて、好きなときに寝ていいと思っている

みんながそれをすれば社会が崩壊するからダメなのだろうと思う

実際、規則的な生活をして思ったことがある
体がしんどいことや、疲れることに慣れるだけであって
しんどいことや疲れることがなくなるわけではないのだ
それを見て見ぬ振りが大人になると上手くなるだけだ
それでは結局何をしても疲れてしまうのではないかな

とりあえずやってみよう思考が大事な時もあるとは思う
けどそれは大きく分析ができて、それをなんのためにするのか
目的が決まったときだと思うのだ

人は慣れている思考が得意なタイミングとそうでないタイミングがある
慣れている思考法が適用される場合なら強いがそれが当てはまらない時がくると途端に弱く脆くなってしまうものなのだ

分析、行動、結果、改善、結果があるから楽しくなるのだと思う
それを1人でできてしまえば楽なのだけれど、なかなか難しい

時間もかかるし、タダで労力が消費されていくのだ
なかなかに大変すぎる作業である

何もできない奴を社会は認めてくれない
生きてることすら無かったことにされる

本人確認書類がなければ誰かわからないまま死ぬのだ
例えそれが著名人だったとしても、悲しいものだ

そう思うと自分が何かをする必要があるのかと思う時がある
どんなに大きな会社を作っても、どんなに偉大な功績を残しても
その死を知る人はいないかもしれない

自分が死んだ後にも金が入ってくる仕組みを作ったとして
それを継ぐ人がいなかったら?
誰も知らないまま勝手に溜まって、そのうち勝手に処理されるだろう

生きるのは難しい

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