松任谷由実の曲に想う『昔のクルマ』

私はいわゆる『懐メロ』の類が好きで、特にYoutube Musicで気軽に聞くことのできる松任谷由実の曲はよく聞いている。「卒業写真」「輪舞曲」など好きな曲は色々とあるのだが、今日はその中の一つ、「中央フリーウェイ」を聞いていて気づいたことについて取り上げてみたい。

子供の頃ラジオから流れるこの曲を聞いて「ビル工場とはどんな工場なのだろう」と不思議に思っていた話は横においておくとして、ちょっと時代だな、と思う一節がある。

片手で持つハンドル 片手で肩を抱いて

なんとなく聞き流していたのだが、よくよく考えるとすごい体勢だ。今の一般的な普通車であれば、よほど手のリーチの長い人でないとハンドルを掴むことさえおぼつかないだろう。前方をちゃんと視認できているか疑わしいレベルの姿勢だ。

軽自動車なら無理もないかもしれないが、それではこの曲のイメージには少しそぐわない。少なくとも、N-BOXでそのようなシーンが繰り広げられても、こんな詩は生まれない。

そもそもこれは詩の世界なのであるから、当然同じようなことは出来なくても何ら問題はない。寄り添うカップルの姿が聞き手に想起できればいい訳であって、それが正しいとか正しくないとかは二の次の問題だ。

ただ、ちょっと考えてみるとこれはそういう「ありそうでないシーンを謡ってる」問題ではなくて、どうも時代背景があるような気がするのだ。

おそらくこの曲ができた当時(レコードは1976年発売らしい)、大半の自動車はいわゆる「5」ナンバー、全幅1.7m程度が大半であった。一方、現在ではいわゆる「コンパクトカー」ですらこの大きさを超える「3」ナンバー車が多くを占めるようになり、車は大型化している。もっとも、車の外板の厚みなどは増えているから、車室の広さが一緒なのかという話は別になると思うが、おそらく昔の車は今の車より容易に「片手で肩を抱く」ことができたのではないだろうか。

そういえばこの歌にはこんな歌詞もある。

愛してるって 言ってもきこえない 風が強くて

私もこの稿を書くまでてっきりこの人達はオープンカーに乗っているものだと思っていたのだが、よくよく考えると1976年、当時はまだカークーラーすら普及しはじめだ。おそらく、自分たちが吹きさらしになっているわけではなく、昔の車にあるような三角窓から風を取り入れていて、そこからビュービューと風が車室に吹き込んでいたのだろう。

冷静に考えると不思議な光景をサラリと耳になじませる詩のセンスとバランス感覚はさすがだなあ、と思う一方で、ここまで普遍的な恋人同士を描いた歌詞でも時代が変われば違和感のある箇所も出てくるのだなあ、なんて思ってしまったのであった。


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