見出し画像

真・幼帝再臨抄 中華ノ皇帝、現代デ美少女トナリテ Ⅱ-3~5

Ⅱ-3 名もなき女

 長い人類史において女は外縁へと追いやられていたが、王の妻、肉親、血縁者といった血脈により隠然とした力を持つこともあった。
 中国最後の王朝となった、その末期において西太后が実質的な女帝として振る舞っていたのは多くの人が知るところだと思う。

 しかしさしもの西太后もみずから皇帝となることだけは許されなかった。

 皇帝の血縁者というのが権力の拠り所である以上、その皇帝を亡き者にすることだけはできなかったのだ。

 皇帝を幽閉し思いのまま国を動かすことができるほど権力の絶頂にあった西太后ですらそうだったのだから、女性が皇帝になるには非常に高い障壁があった傍証になりえるだろう。


 そんな中国においてただ一人だけ『女帝』として新国家を建設した人物がいる。それが『』第3代皇帝・高宗妃の武照――則天武后だ。

 中国三大悪女という不名誉なくくり方もされるこの女傑は、病弱だった夫に代わり政治を壟断。ついには夫の後を継いだ息子から帝位を奪い『』の皇帝に成り代わったのだ。
 
 『周』は一代だけで終わり『唐』に戻ったが、武后は有能な人材を見抜くことにかけて一流だった。彼女の孫・李隆基(玄宗)の代に訪れる『唐』の全盛期、その下地を築いたのだった。


 則天武后の時代から千三百年あまり。十代後半ほどの見た目であろうか、中国史上で特異な存在である彼女の再来として『女帝』と呼ばれる少女が現代にいる。

 にも関わらず、苗字である『元』以外すべてが謎に包まれている。なんでも調べれば出て来るはずのインターネット拡張現実の時代にだ。


 外は大雨。病室の窓から『SERICA』を望んでいたのは、凡河内結(おおこうち・ゆう)。

 大粒の雨がさえぎろうとも捉えることのできるその輪郭は、まるで恐ろしい悪意の源泉であるようで――ふたたび悪意が襲い来るような予感を抱いたという。

 ぼくがちょうど溥儁(ふ・きょう)という男と交戦状態に入って通信が途絶えてしまった、そんな折。彼女の病室を訪れる少女の姿があったという。


「――ごきげんよう、凡河内結。傷は癒えたかしら?」

「……あなたは、『成燕同盟』の――!」
「あら、わたくしのことをご存知でいてくださり光栄ですわ」

「……『女帝』とも呼ばれるあなたとならばね」

「もう少し可愛らしく呼ばれたいものですけれどね」

 外の大雨がいっそう激しくなり、窓に打ち付けられる。
 しかしそのように会話が聞き取りにくいような状況下においても見舞いに訪れた少女の声は、まるで直接脳内に語りかけられているように、明瞭に聞き取れたという。

 違和感を覚えながらも、結が少女に切り出す。

「……それで? 中華の統一にお忙しい身分の貴女が、殊勝にもただ見舞いに来た、というわけではないのでしょう?」

「あら、いやですわ。わたくしは衷心よりお見舞い申し上げたというのに」
「よく言う。陰で暗躍しているのはあなたなんでしょう?」

 キッとした視線を送ったという結。しかし、それに動揺するような少女ではない、「はて、なんのことかしら?」と、知らぬ存ぜぬといった回答。
 その後続く結の言葉には静かな怒りが込められていたのだろう。

「とぼけなくともいいわ。お互い、腹を割ろうじゃない。溥儁。日清戦争に敗北したことで危機感をつのらせて近代化改革に踏み切ろうとした光緒(こうしょ)帝を幽閉し、西太后が代わりに立てようとした幻の皇帝。彼をそそのかしたのはあなたの陰謀だ、ということは知っているのよ」

 その結の言葉に、少女は突如として笑い出す。

「ふふっ、あっはっはははっ」
「……何がおかしいの?」

「貴女は何も知らない。わたくしのことを、何も!」

 身を乗り出し、激昂する少女。

「あなたは死して墓に刻める名を持てるだけ幸いですわ。わたくしには伝えられる名もなく、女としても認められなく。物心つく間もなく皇帝に据えられたと思えば即廃され、名ばかりの皇帝になることすらできず歴史の奥に埋もれた。その無念がわかるはずもありませんわ!」

「――! あなたは、まさか――」

「さすが歴史を通暁されているだけはありますわね。そう、溥儁が幻のラスト・エンペラーだとしたらさしずめわたくしは幻の女帝ということになりましょうか。則天武后よりも前に人知れず存在した女帝――それがわたくしですわ」

「あ、ありえない。その子はだって――生後わずか1ヶ月だったはず。あなたほど成長しているはずが……それに、だとしたら――なぜここに存在できる!?」

「生後百日あまりで即位しわずか半年で亡くなった、中国史上もっとも幼くして死んだ皇帝であるところの後漢の殤帝(しょうてい)。そしてわたくしの次にわずか3歳で立てられほどなく処刑された幼主・元釗 (げん・しょう)。そして、わたくし。この3人の力を結集させた存在が、このわたくし――なのですわ」

 彼女の話すことが事実とすれば、彼女が生きたのは『』──曹丕の建てた国と区別するために『北魏』と呼び習わされている国。
 南側である劉準の『宋』やその後継国家と激しく争いながらも百五十年続いた。
 彼女が廃位されてそのまま殺されているとすれば0歳だからステータスは一切引かれず150、そしてその次に立てられた幼主は3歳なので147
 そして殤帝こと劉隆も1歳にも満たず亡くなった。つまり漢帝国の存続年数409もの数値をそのまま手にすることになる。これらを合わせれば――

「そんな……劉準と楊侗(よう・とう)が束になっても……」

「そういうことです。これほどの力があれば現実すら歪めることができる。拡張現実を『SELICA』の枠外にも拡大させ、こうありたいという姿を確立させることさえできるのですわ」

「……拡張現実技術をアマテラス社から奪う気か、元氏の某――!」

「あと少しで現実世界でも『成燕同盟』の中華統一が成し遂げられる。そうすれば名実共にわたくしは『女帝』となれるのです。どうです素敵な計画だと思いません?」

「なるほど……最初からあなたの狙いは私だったわけだ。劉宋の廃帝たちと溥儁は劉準たちを引きつけ、私と分断するための単なるエサ……」

「ご明察。アマテラス社の陰謀が明るみに出て影響力を大幅に失っている今をおいて、わたくしが現実世界に根を下ろすチャンスはない。あなたさえ消えてしまえば『SELICA』はわたくしの手に落ちる――以前は殺し損なってしまいましたが今度こそ、死んでもらいます」


 悪意がついに牙を剥く。だが――間に、合った!
 すんでのところでなんとか結を悪の手から守ることに成功する。

「――劉準!」
「バカな――あなたごときが、なぜ外に――!?」

「――ぼく自身にはまったく知名度はないに等しい。でも、『曹操』という英傑はどうだろう? 多くの中国人が知っているその存在が今ここに転生したと信じ込ませることができれば――」

曹操という男を利用して、現実を捻じ曲げたというのですか!? 末帝ごときが!?」

「ぼくは結を助けるためなら、なんだってする。曹操にすら、成り代わってみせる。そしてお前を倒して皇帝にだって――なってやる」

「曹操を取り込んだくらいで! ……いいでしょう、ここで引導を渡してやりましょう、ハリボテの英雄!」
「ハリボテなんかじゃないさ。今のぼくは、独りじゃない」

「――はっお前、まさか!?」
「そうだよ。溥儁楊侗――ぼくは今、ふたりの想いを背負っている!」

 結を傷つけ命を狙うお前なんかには、絶対に、絶対に――負けない! 
 彼女を守ってみせる――!!


Ⅱ-4 託された魂

「お前たちも……結局はそう、なんだよな」

 『』では建国直後に皇后が国を乗っ取るという前代未聞の政変が発生した。皇后亡き後、彼女にならって同様に権力を握ろうと皇帝になろうとした韋后(いこう)。その皇后から無理矢理に皇帝位に立てられたのが、彼――当時わずか15歳の李重茂(り・ちょうも)だ。

 彼もまた少年の皇位継承者にはよくある、いわば『禅譲』するためだけに皇帝にさせられた傀儡だった。

 望まぬ皇帝位に、望まぬ権力争い。そして、用済みとなれば、望まぬ死。
 彼らにとってはそれが、判を押したように定められた未来だった。


 そしてそれが、こうして年時を経て繰り返されようとしているわけだ。

 彼らの生命に、どれほど救いがなければ神様は満足なのだろう――と言わんばかりの趣味の悪さだ。彼らだって毒づきたくもなるだろう。


 廃帝・幼帝――そう呼ばれていた彼らから頭角を現したのは、ふたり。
 そのうちの独りが、(ずい)最後の皇帝・楊侗(よう・とう)だった。


 彼女自身にはみずからが皇帝になりたいという野心はなかった。
 だけど、彼女もまた力を追い求めていた。みずからに訪れている過去と同じ運命に打ちひしがれる少年皇帝に、悲痛な面持ちで臨む。


「……わかってくれとは言いません。あれほど憎んだ者たちと、もう変わりはしないのかもしれない。でも……一度くらいは、あがいてみたくなったんです」

 元・皇帝の少年はあまりものやりきれなさにか、とめどなく涙を流し悔しさを露わにする。
 
「……お前の欲しいものは僕じゃなくて僕が唐王家の生まれだという事実だけだ! 僕は……誰も僕という人間のありのままを見てくれない……!」

「そうです。あなたがわたしに取り込まれるのは『』の――李王家の生まれだからです」

「ふ、復讐なのか? お前の故国であるを滅ぼした先祖への!?」

「――復讐、ですか。そんなこと露ほどにも関心がありません。ただ、翻弄されるだけだった運命を、自分自身で、選びたくなったんです」

「……その運命を、僕には選ばせてくれないんだな……いいよ。本当は、知ってたよ。こういう運命が、近いうちに訪れることくらい、さ」

「……本当に、すみません」

「そもそも当時の民衆だって生きる場所も選べず、飢餓と政治的混乱のもとに苦しんできたんだ。その日生きる食べ物にさえ苦労していたかもしれない。よしんば生きながらえたとしても身分も一生変わらず、何が楽しいのかわからないような、そんな人生を過ごしたのかもしれない。そんな彼らからしてみれば僕たちはまだいくぶんか恵まれていたさ。歴史を作ってきたのは名前の残るような指導者たちじゃない。必死に食いしばり日々を生きてきた民衆たちなんだよな。そんな彼らが生まれ変われず僕たちだけが都合よく余生をやり直せるなんて、所詮は虫がよすぎる話なんだよ」

「……わたしを、責めているのですか?」

「そうさ。だが責めているのは僕じゃない。当時の民衆さ。僕たちが本当に救いたかったものは……ほかならぬ民衆だったんじゃない? 僕たちはなんの上に立っていたのか、なんの上に立たせてもらって皇帝なんて恥ずかしい名前を名乗らせてもらっていたのか。その反省もないまま皇帝の力だけを追い求めるなんて――本質を見失っていやしないか――ってね」

「……っ、そんなことくらい、わかって……」

「そう、か――。このくらい、許してくれよ。……どれだけ自分勝手なものだとしても、運命をみずから選ぼうとしているお前に、僕は、このくらいのことしか言えないんだからさ」

「?! ……あなた……」

「僕だって皇帝だ。矜持くらいは持っているつもりさ。誰に託すべきか、それを選ぶくらいは、ね――。終わらせてくれるんだろう? このクソみたいな転生劇をさ。どうせハンパに復活してしまった命だ、今度こそ――託せると思ったヤツに託すさ」

「……すみません。あなたの命、大事に使わせてもらいます」


 ――――――――――――――――――――ー


「――彼だけじゃない。多くの元皇帝たちが、わたしや劉準の思いに力を託してくれた! だからわたしは止まれないんです、彼らの魂をムダにはしないために――!」

 楊侗は溥儁(ふきょう)という男に敢然と立ち向かう。
 感じる気の力は、双方ほぼ同じように思える。それだけに、どちらが勝つのかにわかには判別できない。眼前、ふたつの力が激しくぶつかりあう。

「――綺麗事を! お前はほかの皇帝から力を奪うことを、『禅譲』を自己正当化しているだけのこと!」

 溥儁という男も、まったく引こうとはしない。
 双方気の力を練り上げ剣を生成、鍔迫り合いを見せる。
 ギリギリと剣の擦れる音が強くなっていく。力が拮抗しているのだろう。そのような状況がしばらく続いた中、楊侗がぐっと一歩押し込んでいく。

「そうかもしれません。でも、これはわたしが選ばせてもらった道。わたしは劉準君と凡河内さんのため剣となり、盾になる。彼女らがこの戦いを終わらせたいと願うなら!」

 このまま拮抗を崩していく、か――!? 
 のように見えたが、溥儁という男、痩せこけた身体にどこにそんな力が眠っているというのか、楊侗の圧迫を弾き返した。

「――ムダだ!」
「――!?」

 強い衝撃に堪えきれず、思わず楊侗の身体がよろめく。

「お前たちがどれだけムダな抵抗をしたところで! ――お前らがここにいる時点で勝負はついてるんだよ!」

「楊侗!」
「……大丈夫。それよりも溥儁、さっきの発言、どういう……」

「どうもこうもない。そのままの意味さ。お前らはわかりやすい陽動に引っかかっている大馬鹿者ってことだ!!!」

「ぐっ……」

 溥儁という男、ずいぶん重い一振りを見せてくれるじゃないか……当たっていたらひとたまりもなかった。


 それにしても――……陽動!? 
 ――まさか、真の狙いは……ぼくたちじゃなくて――


 見透かしたようにニタリと不気味に微笑む溥儁。

「そうだよ。今更気づいても遅いがな。今頃は我らが『女帝』みずからが手を下しに行ってるんじゃないか!? 凡河内結のところにさァ!」

「……くそっ! ここから出られないわたしたちじゃどうしようも……」
「……いや、まだだ。ここまで来て、諦めるなんて――!」
「……劉準君」


 そうだよ、ここまできて――諦めるわけにはいかない!
 どうにかする方法は……あるはずだ。考えろ、劉準……考えるんだ……!
 溥儁は諦めの悪いぼくに苛立ちをぶつける。

「もうどれだけやってもムダなのが、なぜわからない!?」
「なら、なんであなたはそのムダな足止めに命を張るんだ! 溥儁、あなたが本当に望んでいる展開はこんなことじゃないはずだ!」
「うるさいんだよ!!!!」
「くっ!」

「確かに、俺の人生は何事もみずから選ぶことができなかったものだったかもしれない。そしてそれはまた繰り返されるのかもしれない。――だがな、俺にだって矜持くらいはあるんだよ。これが与えられた運命だとしたら、全うしてやるまでだ!」


 やはり、何があっても立ちはだかるつもりか――!
 仕方がない。この人は悪人とはどうしても思えないのだけど……ぼくも剣を生成し、溥儁へ振り下ろす。

「……くそっ! 没分暁漢――ッ!」
「そうだ! それでいい! 全力で――」
 ――っ!? こ、こいつ、僕の刀身を……素手で引き寄せ……

「俺を殺せ」

 ……な、なぜ――みずから……!?
 痩身の男から溢れ出る血がぼくの刀を伝い、ぼくの手へと流れにじむ。
 これは拡張現実下に生きる者にしか突き刺さることはない剣。データ上だけの存在ならばこれほどまでの生々しい感触など、再現してくれなくていいのに。血が滴り落ちるなんて、仮想現実らしくもないじゃないか……!

「言ったろ。俺にだって矜持くらい……あるんだよ」

「あ、あんた……大馬鹿者だよ……」

「ふっ……時間がない。簡潔に伝えるぞ。……凡河内結を助ける方法は、まだ……残されている……それは――」

 息も絶え絶えになりながらも、可能性を託してくれた。そんな溥儁は最期ぼくに寄り掛かるように脱力して果てたのだった。

「……そうか。ありがとう」

 だが、その可能性というのも残酷なものだった。それは、ぼくが戦いの中で得た仲間を……すべてを察したのか、楊侗のほうから切り出してきた。

「……劉準君」
「……楊侗」
「『生命の結義』。やっぱりあなたは、わたしを奪わなければならない」
「君は……それでいいのか!? せっかく君は――」

「時は得難くして失い易し、だよ。迷っているヒマはないはずだ。わたしはもとよりこの身、劉準君に差し出すことだって――ああ爾舜よ、天の巡る運命は爾が身にあり

 『生命の結義』の詠唱をはじめる。ぼくは二の句を告げずにいた。

「――劉準君。大丈夫。わたしは、あなたの中でこの先も生き続ける。そう思えば――何も怖くはありません」

 ……なんで、そんなに……にこやかに笑っていられるんだよ……!
 そんな顔をされたら………応えなきゃいけなくなるじゃないか――!

皇帝の臣下準、はっきりと偉大なる上帝に申し上げます天は大佑を顕し、天命を下す。天下は兆民の望むままに……」


 ――そうして溥儁を降し、楊侗からも力を譲り受けたぼくは、『女帝』元氏とほぼ同等のステータスを持つに至った。おかげで本来は持ち得ることのない、現実すらも歪める力を、ぼくは手にすることとなったのだ。


 結の入院している病室からなんとか距離を取ろうとしたものの――そうするとほかの病人を命の危険に晒すこととなる。
 
 人気を避けつつなんとか距離を保ちたいところだが――それもなかなか思うようにいかない。
 
 『女帝』となりし少女はかまわず気を発し周囲を破壊していく。
 くそっ、こいつ――まったくためらいなく気を撃ってくれる――!

「よりにもよって、病人を収容する場所で戦うなんて!」

「――あっはっは! 生きることすら満足にできなかったわたくしが、こうして他人の生き死にさえ蹂躙できる! たまらなく気持ちいいですわ!」

「……狂ってるよ、あんた!」

「こんな世界、狂ってでもないと生きられませんわ!」
「やっぱりあんたは、この世にいちゃいけない人なんだ! 拡張現実なんかで生み出されなければ!」
「その拡張現実で浅ましく世界にしがみついているあなたが! それを否定する! 滑稽ですわね!」
「そうかもしれない。だけど、だからこそ――お前とおんなじだからこそ、ぼくが!」


 こいつと同じ、拡張現実上でしか生きられないぼくこそが――こいつを倒さなければならない――! この戦いには何が何でも勝たなければ、という思いを新たにするのだった。

Ⅱ-5 連理の嬰児

「劉準――!」

 あの人の呼ぶ声は、もうかすかにしか聞こえない。

 外は驟雨。
 ぼくたちを必死にかき消そうとしているかのように、窓を締め切っていても聞こえるほどの音を立てて降りしきる。それほどの大雨なのだから、窓が破砕されてしまえば、殴り掛かるように襲い掛かってきたとしても、なんの不思議もない。

 『成燕同盟』の長たる『女帝』サマは無遠慮に気を放出するものだから、壁も窓もあちこちメチャクチャ。この短期間の間に、荒れたい放題、雨嵐も侵入するがままだ。

 言ってしまえばぼくたち拡張現実の存在ならば水に触れることもできないから冷たいと感じることもないが、この広々とした病院のベッドで日々を送っている人たちにとってはたまったものではないだろう。

 病院にいる人々の悲鳴が連鎖する。

 阿鼻叫喚、という言葉の意味するところをはからずも知ってしまったようでやりきれない気持ちに襲われる。

「少しは遠慮というものを知らないのかな、女帝というのは!」
「はん、遠慮なんてものをしていたからわたくし達は出し抜かれたのではなくて!?」

「くっ――」

「人の本質はいかにして自分の生存圏を拡大し、命の危険をできるだけ取っ払うことができるか。人はそうして文明を生き、歴史を紡いできた。歴史とは自己の生存をかけ、他人を排除していく――その積み重ねなのですわ!」

「……自己中心的な考えを、歴史の名前でまとおうとする!」

「あなたも! 一人の女を守りたいがために善人のふりをして我を通す! 本質的には楊貴妃に狂った玄宗となんら変わりはしない! それを間違っていると思わない独善ぶりに反吐が出ますわ!」

「――ぼくはお前から結を守る。もとより正義など――」
「その傲慢が! 歴史を、常に狂わせてきたのですわ!」

「――!」

「『中華』というのはきさまが考えているよりはるかに広大な概念。それを治める器は、ただの人間には不相応。有限な肉体などに左右されない完全無欠な存在が安定的に君臨してはじめて、『中華』が治まるのですわ」

「くっ……神にでもなったつもりか――!」

 そうかもしれませんわね――と、元氏の『女帝』はほくそ笑んだ。

「神に成り代わってこの地を治めるという『天子』の概念。だけど人はいつか死ぬのだというもっとも自明な障害がある以上、有史以来常に不完全なものとならざるを得なかった。始皇帝をはじめ、多くの皇帝が追い求めては手にすることのかなわなかった、完全無欠な存在……拡張現実の技術によって現実がようやく追いついた」

「――違う! 皇帝という存在があまりに絶対的すぎたから多くの者が追い求め、間違えていったんだ! 人は皇帝なんていう完璧な存在にはなりえない。まして、お前なんか!」

「『中華』を手に入れるのはわたくしでなければならない! ポッと出の、あなたに渡したりなど――!」
「妄執だよ。お前も……皇帝という怨念に取り憑かれているんだ」
「それで結構! ただし取り憑いているのはわたくしではない。あくまでも皇帝という権力がわたくしにひれ伏すのですわ!」


「――そうか。でもおしゃべりは、ここまで――もらった!」
「!!」


 そ、そんな――確かに身体を貫いたはずなのに――?!


 ぼくが振りかざした先には、何もなかった。
 
 そこだけ不自然にぽっかりと穴が空いたように、あるはずの女の身体の一部もそこにはなかった。
 不気味になって手を引っ込めると、次の瞬間まるでそこに何もなかったのが目の錯覚だと言わんばかりに、女の身体はもとに戻っていた。
 
 おかしい、そんなはずは……
 
 混乱するぼくをあざ笑うかのように、『女帝』はこう告げるのだった。


「わたくしは現実を歪めるほどの存在。ならば――あなたに刺された、という事実さえも書き換えることができるとすれば――どうかしら?」

「……バカな、そんなことが!?」

 そんなことができるとしたら……そんなヤツ相手に、どうやって勝てというんだ!?

「さて、これでわかったでしょう。わたくしもあなたごとき相手するだけ生命力のムダですから。おとなしく投降なさい。二度とわたくしに歯向かわないと約束すれば、余生を愛する人と過ごすだけの時間くらいは与えてやりましょう」

「――そう、かよ!」

「ムダだと言っているのに。生命力の浪費は、あなたのためにもなりませんよ。仮にわたくしを倒したところで、生命力を使い切ってしまえば、あなたの愛する人と共にいる時間もなくなってしまうのですよ?」

「たとえいっしょにいられなくとも――あの人さえ守れれば――!」
「歪んだ自己陶酔ですわ。残された人も可哀想……付き合いきれませんわ」


 おぞましいほどの気をまとった『女帝』の手が、ためらいなくぼくの身体を貫いた。


「……が……っ!?」

 灼けるような異物感と、全身がねじれるような痛み。
 毎度毎度こんなところをリアルにしなければいいのにと感じずにはいられないね……!

 もう勝負はついたとばかりに元氏の『女帝』は耳元で冷たく言い捨てた。

「英雄曹操がこの程度とは――まがい物に乗っ取られて泣いていますわね」

 ぼくだけでなく曹操に対しても、言ってくれるじゃないか。
 ……その言葉、すぐに後悔することになるよ……!

「……ひとつ、いいかい?」
「……なんですの? 命乞いならもう遅いですわよ」
「はは、いやなに……自分ができることなら他人にも真似される可能性……って考えないのかな、って思ってさ」
「――!? あなた何を……」


 油断したな。捕まえた――!


「はっ、離しなさい! ……くっ、抜けない……!? ど、どうなってますの!?」
「歪ませているのさ、ぼくもぼくなりのやり方で――現実ってやつをさ!」

「……くっ、諦めの悪い!」

「残念ながら曹操という男もそうでね……! どれだけ苦境に立たされようと、時には一杯食わされて敗走したとしても、諦めない。今のぼくが曹操である限り、諦めたりしない!」

「たわごとを……ッ!」
「たわごとかどうかは――こいつを喰らえばわかる!」

 ぼくは彼女の手を押さえつけているのとは反対の手で、気をまとわせた剣を突き立て刺し貫く。彼女の左上半身に、大きな穴が空く。今度は、錯覚でも、歪められた現実でもない。元氏の『女帝』は痛みに耐えかね、足を震わせながら激しく身悶える。


「――ああああっ! ……ぐ、うあァあああァ……ッ!」


 ――!? ……『SERICA』に戻った?

 ……なるほど、現実を歪めて外界にいられるだけの力を維持できなくなったか。とりあえず結を直接的な危機からは守ることができた、のかな――

「ウザいウザい、ウザッッ……! この代償、高く付きますわよ……!!」

 なんとか立ち上がる『女帝』だが、足取りはもはやそうしているのがやっと、というのが痛々しいほど見て取れた。虚勢なのは、ぼくの目には明らかだった。

「ただでこの状況を乗り切るつもりは、ハナからないさ……覚悟が足らなかったのはそっちじゃないかい?」
「くそっ……こんなところで……こんなところで終わるわけには――……!?」

「――!? どうした!?」

 なにか、様子がおかしい。


「ぅがァァァァ……ッ……あああアッ……お、おとなしくしなさい……ぅぐああアアァッッッ……!!!」


 なんだ……? まるで力が制御できていない? 
 
 なんだか今ぼくの目の前に飛び込んでいる状況、他人事とはどうしても思えない。この悶えようには覚えがある――そう、あの、ぼくの身体の中にあの英雄が入り込んできた時のような……

「ああああ……いや……行かないで、ヒトリハ……ヒトリ……ハ……はぷっ」


 そこからの光景はあまりにも惨たらしかった。

 
 あまりにも悪意を吸い寄せすぎた嬰児ふたりが、『女帝』元氏の抑えがきかなくなった瞬間に、彼女の身体を引き裂き、巨大な肉塊として現出した。

「おんぎゃあああああああ! んああああああああ!」

「なんだよ、これは……」

 制御を失い、膨大な力を四方に放出するそれは、醜悪な姿をしているということを除けば、明確な判断さえもできない赤子そのもの。
 
 これは、悪夢だ。悪夢以外の、何物でもなかった。
 
 身体が互いにくっついている二人の赤子は、それぞれの意識が反発し合い、不自由さから解放されたがっているようにぼくには映る。

 天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん――なんて愛の歌もあるけれど、実際くっついてみればこのようなものなのだろうか。
 
「そうか、お前たちもずっと抑えつけられて苦しんでいたんだな……」
「あんぎゃああああああああ!」

 うわっ……こんなの、一発でも喰らえばぼくも無事で済まないな……こんな状態になっちゃったこどもたちが、あのまま病院の中で暴れまわることにならなくってよかったと、心底思う。


 制御不能な瘴気は『SERICA』の施設すらも破壊していく。
 
 ガラガラと脆くも崩れ去る、中華の栄光を再現した豪壮な建物たち。
 いや、そう見えていたのは幻想だ。あまりにも無機的でむき出し、施設の大きさにしては簡素極まりない。はじめて目がさめた日に見た殺風景さを思い起こさずにはいられなかった。

 すべてが嘘、すべてが幻想。
 
 そこで生み出された怪物による内部からの破壊で終わるのか、と考えたら、やはりこれは何かの悪い夢だった――ということになるんだろうか。
 胡蝶の夢とかいう美辞麗句で表せられればどれほど救われたことだろう。

「ふああああああああ! あああああああ!」

 ……いや、生は奇なり、死は帰なり――か。
 はじめからこの世界は仮のものだったなら、ぼくという存在もまた――

 でも、この赤子たちの放つ気が現実のモノに影響を与え、破壊するものである以上、この悲しき嬰児たちの存在も、また幻として葬り去らないと。

 生まれ変わっても、二度と王の家に生まれたくない
 
 そう望んでいたはずなのに再度転生した、ぼくという存在。ぼくは、どうしてここにいたのだろうか。それはこの瞬間のためなんじゃないだろうか。

 見渡す限りの瓦礫の山が築かれていく。
 ……おそらくは、『SERICA』はもうもたないだろう。ぼくという存在も、おそらくはこれまで――

「……幼くして怖い体験をしたもんね。そうだよね、誰だって死ぬのは怖いよね」

 ぼくの中の曹操よ――ぼくに、立ち向かう勇気をください――!

「またそんな思いをさせちゃうけど、ごめんね。ぼくも共に往くから、許してくれ……!」

 振りまかれる雷鳴のような気と、赤子の駄々のような攻撃を避け、大きく踏ん張り、剣を握り締めて、あらん限りに高く、飛び上がる。
 生々しい肉の感触が、武器ごしに伝わってきた。

「うええええええええええ……え……」

 悲痛な叫びと共にぼくたちの世界を壊した大きなこどもを看取る。
 

 あらゆるものが砕け散っていく。もう、崩壊は止められない。
 外から降り注ぐ殴り雨はもはや遮られることもなく、『SERICA』を濡らしていく。それを感じることはできないはずなのに、ぼくの身体を通るたび、冷たいという感覚を呼び起こされる。


 これでよかったのかな、結……
 死して名を残すことのなかったぼくだけど、今回は、少しは胸を張れるのかな。


 いや、それもどうでもいい話だな。

 ぼくは君さえ守れれば……ほかはなんだって。


 ぼくは、君を……守、れた……の……だろ……うか……

 君の……願いの……ために……戦うことが……でき……


次の話はこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?