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真・幼帝再臨抄 中華ノ皇帝、現代デ美少女トナリテ Ⅰ-1

 願後身世世、勿復生天王家

Ⅰ-1 望まぬ転生

 目に飛び込んできた天井は見慣れたもののようでニセモノのようだ。

 ……どんなに華美に彩られたように見える宮殿であっても、よく見れば傷んだ箇所なり塗りムラなり、ホコリなりがあるもの。

 しかし起き抜けに飛び込んできた風景はどうだろう。
 絵に描いたように美しすぎる。人の住処らしさが意図的に排除されているような――そんな違和感と共に僕は、目覚めてしまった。今日も。

「……いっそ起きることもなくずっと眠っていられればいいんだけどな」

 仕方なしに寝台から乗り出してみると、違和感は焦りに変わった。

「……ここは、どこだ!?」
 
 だだっ広い空間にただ1つ、一人の人間が寝るのにはあまりに大仰な寝台が四角張った狭い部屋にあるだけ。あまりにも生活感がなさすぎる。十年生きてきた中で見たどの特徴とも合わない。

 ……胡蝶の夢がごとく、実のところいまだ夢の中にいるんじゃないか?
 いっそもう一度眠りについてしまおうか?

 しかし……この部屋の作り物感もそうだが、何よりも薄ら寒いのは、あまりにも人の気配が一切しないことである。

 
「……誰もいないのか?」

 もしや眠っているあいだに、どこかへ……?
 いよいよあの忌々しい将軍閣下がぼくを排除することとしたのだろうか。……まあ、それでもいいけどね。どうせぼくは皇帝の位を別の一族に譲るという手続き上生かされているだけで、用済みになれば処分される。

 かの漢王朝で王莽(おう・もう)が、また我が皇祖劉裕(りゅう・ゆう)がそうしたごとく。
 
 そんなことは宮中の誰でも知っていることだ。願後身世世、勿復生天王家(たとえ生まれ変わっても王家にだけは生まれたくない)──ひと思いにやってくれ。もう懲り懲りだ。


 だが、あの男──蕭道成(しょう・どうせい)将軍は武勇に訴えるゴリ押しタイプであり、回りくどいマネを好むとも思えないが……?

 ともあれ、我々のような薄汚れた一族に不釣り合いなほど広大な宮殿だ。足を踏み入れたことのないところだってある。もしかしたらぼくが知らないだけで、こんなところも昔から――


「!? 視界が――」


 黒く……何も見えない……!?
 ほどなくしてそれまでの赤く塗られた木造の内装は、白地の壁で四方囲まれた無機的な空間に突如変貌する。
 
 なんだこれは。土固めの『版築』か? いやそんなことよりも――
 

「消えてもらうぞ劉準(りゅう・じゅん)!」


 なッ――!? 誰だ!?
 理解の追いつかぬ早さであれこれと――! 
 
 刺客の手には暗器の小刀。
 すんでのところでかわしたが……いざというためにと学んでいた護身の武術、鍛錬は苦行でしかなかったがこんなところで役に立つとはね……!

 
「なんだ、女……? 話が違うではないか。野郎、逃げ果せたか……?」

 見れば齢が2倍は離れてそうな小男。
 しかし刺客にしては短刀の扱いが粗い。経験が浅いのか……?
 男の風貌を改めて見ると、ぼくはなぜか他人とは思えぬような不思議な感覚を味わった。

 いや、それよりも。  


「……女……? 女なんて、どこにも……?」


「ここにはおれとお前しかいない! ふざけているのか、女!!」

 ……?!?! 
 みずからの身体を見下ろしてみると、たしかに胸部に見慣れぬ膨らみ。
 なんだ、なんなんだ!? 理解できないことだらけだ。何がどうなっているんだ!? しかし、混乱する暇さえ与えてはもらえなかった。
  
「まあいい……お前から劉準の居場所を吐き出してもらうまで!!!」

 ………ぼくがその劉準なんだが……? いや、違うのか? 女だし。
 再び襲いかかってくる男。
 それを避けることはぼくにもできた。
 いつか訪れるであろうその時のため、ひそかに毎夜鍛錬していたのは無駄じゃなかった。

「ちぃ、少しは腕が立つようだな……劉準め、いつの間にこんな配下を……」

 ぼく程度に後れを取る程度の者が知っているとも思えぬが……相次いで見舞われているこの異変について、何か手がかりを得なければ……

「どうしてぼ……皇帝陛下を狙う? 蕭道成将軍の手の者か?」
「……そんな千五百年以上も前に死んだヤツのことなぞ、知ったことか! やっと掴んだ好機。お前ごときに邪魔されてはならない!」

 ……は?
 千、ごひゃく……???
 千五百年前といえば、我が皇位からさかのぼれば(いん)王朝だぞ!?
 もはや伝説か神話にも等しいほどの時代差じゃないか。
 ますますわからない。つまりここは根本的にぼくの生きた時代じゃない?

「千五百年前だと……!? ぼくを惑わすために、たわごとを──」
「とぼけるな、女!」
 
 斬撃が頬をかすめ、チクリとした。これが夢──であったならばどんなによかったことだろうか。
 凄まじい剣幕。よほど恨みをつのらせていると見える……
 男はさらに熱くなる。

「お前ら未来の人間が、おれたち引きずり降ろされた廃帝を、見世物のために召喚したんだろう!? 今この瞬間だって、どこかで見てせせら笑っているんだろう!?」
 
 ……廃帝?
 最初にいだいた、他人と思えぬ感じ。それはもしや……
 つまりは、この男も、ぼくと同じ運命を辿る、乃至辿ったことがあった者なのか……?

 つややかに磨き上げられた宝珠のように白い壁面も、宮殿の景色が急にガラリと切り替わったのも……ぼくの知らない未来の産物だというのか……?
 そう考えるほかないが……しかし、そんな突拍子もないことが、信じられるわけが……などと考えていたのがいけなかった。

 トン、と。かかとが壁の端にぶつかる。しまった、追い込まれた――!

「身のこなしだけはそこそこやるようだったが、所詮こども。捉えたぞ」

 くっ……!
 背水の陣と強弁したいところだが……もとより死ぬほかなかった天命。
 いまさら抵抗なんか……意味もないか……

 もう、なにもかもを再び諦めかけたその時。
 まるで頭の中に直接語りかけてるような鮮明さで、年若い女性の声が耳を駆け抜けた。


『左手首の装身具をかざして、今から私の言う言葉を復唱してください!』


 いきなりなんだ⁉ 姿はどこにも……戸惑いながらも手首に目を向ける。
 細身な鎖の腕輪。こんなものを気にかけている余裕すらなかった。

「悪いな我が後裔。お前に恨みはないが……天にふたつ日がないように、帝がふたりいてはいけないんだ。化けて出てくるなよ」

 男がじわじわ距離を詰めてくる。
 この男には、さっきの女性の言葉が聞こえていなかったのか……?
 余計なことを考えてる時間はないか――!

 ひとまずはどこからか降って湧いた『天の声』に従うしかない。この宝石をかざせばいいのか⁉ そして、そのまま次の女の言葉を繰り返した。


『「明堂、恒星に復せ!」』


 ──政務室を正統な王の許に取り戻せ──
 そのたった一文だけで、身体の奥底から、力が湧いてくる――⁉


「女、お前がなぜそれを……お前がまさか、劉準だったのか……!?」

 周章狼狽する男。
 ぼくは自らの身体を取り巻く気を、流れに身を任せて振り下ろす。


「いっけェーーーーーーッ!」

 男は向かいの壁に勢いよく叩きつけられ、ズルリと床に倒れた。

「ぐっ…は……!」

 それと共に、この空間を覆っていた背景が最初の、宮殿内部のような趣に戻る。あの単調な真白の空間はいったい……あの男が見せたまぼろしだとでもいうのか……?

 ええい、わからないことが多すぎる。ヤツのセリフといい、姿のない女といい……とりあえずここにいても仕方ない。
 少なくともここは、ぼくのいた都・建康ではなさそうだから。


 賊こそ打ち破ったものの……
 仮にも皇帝であるぼくが白昼堂々と襲われたという異常事態があってなお配下の者が誰も来ないとなればそれは、形勢不利と見ざるを得ない。
 なればここは、三十六計逃げるに如かず、とでもいうべきだろう。


 ……逃げる? どこへ?


 この男が言っていた、将軍が千五百年も前に死んだという内容。
 それが本当だとしたら、ここは途方も無い未来だということになる。
 ぼくの行く道などすでにもう……これでは死んだようなものではないか。
 などと雑念を振り払えずにいるうちに――


 それはほんの一瞬の出来事だった。


 ヒュンッ、と。
 肝を冷やすような風が、ぼくの身体のすぐ側を横切る。次の瞬間には男の胸に短刀が突き立てられていたのである。


「くは……っ……‼」


 男は弱々しい悲鳴をあげたきり、ピクリともしなくなった。
 得物の投擲。後ろを振り返れば、新たなる闖入者の姿がそこにあった。

 また刺客か⁉ と身構えていると、その男は飄々と語りだした。


「ダメだぜそんな甘ちゃんじゃ。確実に殺さねぇとテメェがヤられるぜ⁉」


 その顔立ち、そういうお前もぼくと大して変わらないじゃないか。
 たしかに背丈は一尺か二尺は違いそうだけども。

 それゆえか、明らかに見下したような慇懃無礼さが、立ち姿勢の悪さからも読み取れる。腹立たしさはあるものの、ここもつとめて冷静でなければなるまい……

「じゃないとボーナスポイントももらえないしな。まあ、おかげでオレが漁夫の利ってヤツを得たワケだけどな」

 ぼぉ、なす? 耳慣れない語だ。
 『中華』の範疇にない異民族の言語か? それとも本当に未来の……⁉

「……何を言っている?」

 嫌な予感がする。そうそれはあの、館に刃物を持った男が押し入ってきた、あの日のような……


 いや待て、あの日……⁉


「――⁉」 

 激しい反芻に襲われ、反射的に口元を覆った。
 ……そうだ。ぼくはあの日、突如何者かに斬り伏せられ――


 死んだんだ


 ……今はっきりと思い出した。
 いや、だとしたら、今ここにいるぼくは、何なんだ……⁉ 
 死んだはずの存在が、なんでいっちょまえに吐き気など覚えているんだ。それがたまらず、気持ちの悪さをいっそうかきたてる。


「思い出したみてェだな。そう、オレもお前も、そしてさっき殺したアイツ──劉義符(りゅう・ぎふ)も。一度死んで廃され、千五百年以上もの時を経て転生・再臨した元・皇帝なのさ」


 ……最初に襲いかかってきた男を見た時に感じた、他人じゃない感じ。
 本当に劉義符──その末路は忌むべき悪例として必ず挙げられるほどに通っていた名である──だったと云うのならば、あの男は、ぼくの先祖ということになる。

 絶え間なく襲い来る胃液をこらえながら、声を振り絞る。


「ならば……お前は、誰だ⁉」
「知る必要のないことだ! テメェはこれから死ぬんだからな‼」


 そう言って男は右手をかざす。……まさか、さっきのぼくと同じ――

明堂、恒星に――」

 来る――‼ 歯を食いしばり身体を丸め備えた刹那――


「おやめなさい!」


 張り詰めた緊張の舞台にそぐわぬ、繊細な女の声。
 その声のした方を振り向けば、齢は最初に襲いかかってきた劉義符と同じ程だろうか。腰にまで届かんばかりの美しい髪を持つ、この世ならぬほど整った顔立ちをした女性が一人。

 悠然としたその表情とは裏腹に、見たところ武道の心得などはなさそうに見える。また、身にまとうものすべてが我が国の習俗とはまったくかけ離れている。だが不思議とどこか我が国の雰囲気もまとっているような……不思議な感じだ。
 ともあれ、配下の者というわけでもないだろう。たまたま居合わせたというのか……⁉ 
 
 だとすれば、あまりにも危険だ。
 
 今すぐここから離れろと命じようと前を見据えたが、意外なことにもっとも動揺を見せているのは二番目に現れた刺客の者だった。


「て、テメェは、アマテラス社の……」


 アマ……テラス……? 
 どこかで聞いたことが……そうだ、アレは確か東方の――

「その名をあなたが知っているとは驚きですね。……どなたが裏で手を引いているんです?」
「……ちッ。テメェにゃあ関係ねェだろ」
「そうですね。ですが、何も知らないこどもを騙し討ちするようなマネは、感心しませんよ?」
「はン。卑怯もクソもねェ。勝つためにはなんでもする。それが戦いってモンよ。本ばっかり読んでたイイコちゃんにはわかんねェだろうがなァ!」

 ……あれこれ思案しているうちに、いつのまにやら蚊帳の外のようになっていた。いや、もとよりそうだったな。
 何も知らないまま勝手な争いに巻き込まれて……挙句殺された。だから、嫌だったんだ。


 生まれ変わったら二度と王家になんか――そう、思っていたのに。
 僕の願いは、天に聞き入れてはもらえなかったらしい。


「……退きなさい。これ以上の狼藉は、私が許しませんよ」

「はン! 言うじゃねェか姉ちゃん。この刃物が怖くねェのかよ?」
「無駄ですよ。『アマテラス社』の事までご存知な方なら知らぬワケないと思いますが」
「わかんねェぜ? ああ姉ちゃんほどの白く透き通った顔、鮮血で染め上げたらどんだけ気持ちいいだろうなァ……⁉」
「……歴史書どおり、気持ちの悪い方ですね」
「オレを歴史で語るな、嬢ちゃんよォ!」


 ま、マズい! 疾すぎる……!
 男が短刀をかざし、目の前の女性に距離を詰めるまで、全く時間を要さなかった。


「やめろォーーーーッ!」


 男は握られた刃物で女性を刺した。


 ……はずだった。
 

 刃は確かに女性の腹部を貫いているはずだというのに、全く出血の様子がない。それどころか、女性はさらに一歩、二歩と踏み込んでいく。


「だから、無駄だと言ったのに」


 女性がさらに踏み込むと、刃物はおろか、男の全身すらもすうっとすり抜けていく。


 なっ、こ、これではまるで――


 悪霊、ではないか。
 

「ち、畜生……」

「あなたでは現実の人間に触れることすらできない。もう一度言います、退きなさい劉子業(りゅう・しぎょう)。失格になりたいんですか?」


「……ちッ!」


 男は大きく舌打ちして消えていった。

 そしてやっと幾分事情がつかめた。
 そうか、あのときの声もまたこの人――つまり二度も窮地を救ってくれたのだ。


「もう大丈夫ですよ」


 ぼくの緊張を和らげようとしてくれているのか、浮かべたその微笑みは美しさを通り越し神々しささえたたえているようだった。
 
 ……いや、警戒は解いてはならない。
 もしかしたらこの女も、ぼくを利用し最後には殺さんと企んでいるのかもしれない。

 ……けれども、そんなぼくの精一杯の警戒心すらもほどいてくれるような、そんな魅力があった。
 
 いや……たとえそうだったとしても、構うものか。
 どうせ一度死に、そしてまた望まぬうちに手にした身体だ。
 どういうわけだか性まで変わってしまったが……


 ぼくはこの世に生を受けて以来、心から味方と呼べる者を一人として知らなかった。最期の時だってそうだ。誰も助けようともしなかった。

 ……だから、もしかしたら初めて僕に味方してくれるかもしれない存在に、心打たれたのだった。

 
 凡河内結(おおこうち・ゆう)。


 この時からぼくは彼女と、先の劉子業をはじめ、ほかの皇帝候補たちとの壮絶極まる争いを、ともに戦い抜くことになる。それは位を奪われ死んでいった非業の王たちの、やり直しをかけた物語――


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