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真・幼帝再臨抄 中華ノ皇帝、現代デ美少女トナリテ Ⅲ

Ⅲ 共存と共有

「同僚の凡河内(おおこうち)さん、どんどんキレイになっていくよなあ。男がほっとかないでしょ」
「でもあの人、付き合ってる人っていないよね」
「バカ。そうじゃないのよ、これだからニブい男は」
「なんだよ、結局どういうことなんだよ」
「それはね……」


 『中華』は結局、日本のアマテラス社と手を組み都合の良いAR――拡張現実を見せて市民を意のままに操ろうとした南部とも、またその破壊をうたいながらも利用しようとした北部とも、どちらでもないグループが統一することとなった。

 アマテラス社が遺した置き土産である『SERICA』という施設もまた、カリスマ的指導者であった『女帝』を失った北部『成燕同盟』と共に崩壊したのだった。

 一連の『SERICA』閉鎖騒動によって、拡張現実というものは悪用されれば現実さえも歪めてしまう危険性の強いものであるということが改めて認識された形となった。

 ――だが、ひとたびテクノロジーを手に入れた人類が簡単に手放せるほど、単純な話ではない。巨大な企業ならばいつでも技術を再現して同じことができる以上、安易に禁じて免疫がなくなってしまうほうがはるかに危険なのだ。

 この世界に現前し、たしかに現実に存在しているという光景を目にすることができるけれど、ほんものの現実というのはためらわれる。
 そんな存在と、どのように共存していくべきか、という方向に、中国を含め多くの世界が真摯に取り組むというひとつの契機には、なったのかもしれない。

 その時、その世界にたしかに、元皇帝の少年少女たちがいた。彼らがいたという記憶は、レジャー施設という関係上、非常に多くの人の記憶の中で、共有されている。

 これは、AR技術が生み出した、まごうことなき現実ということなのではないか?

 少なくとも、ぼくにとっては――あの日転生してからのことも、今のことも、現実なのだから。


「また、待たせちゃったかな? なるべく定時であがりたいんだけどね」
「まあ仕方ないよ。残務処理、大変なんでしょ?」
「私なりのケジメ、みたいなものだからね、これは……」
「ケジメ、か。……そういう意味じゃ、ぼくは死にそびれた、のかな」
「またあなたは自虐的になる。次同じこと言ったら、怒るわよ」

「……ぼく、生きてるんだよね……?」

「当たり前でしょ。あなたは……生きてる」

「……いいのかな、って思うんだよね。多くの人に劉準――ぼくという記憶が刻まれたからこうして存在できてるなんて、そんなメチャクチャな」
「いいんじゃない? 少なくともあなたとこうしていられて、私は嬉しい」
「……そう、だね。ぼくも、嬉しいよ」


 凡河内結。
 彼女とこうして、あの施設を離れてもいっしょにいられるということが、ぼくにとってもほんとうに、ほんとうに、嬉しいことだから。
 
 小難しい話なんてのはほかの人に任せるとして。ぼくと彼女にとっては、それだけで、いいのかもしれない。


 でも――


「でもあなたといっしょのものを味わったりできないのだけが難点ね。どんなに腕によりをかけて作ったって食べるのは結局私だけだもの。それに触れ合ったりも……な、なんでもないわ!」

「そ、そう? ならいいけど……」

 ――ぼくは彼女の紅潮した頬の意味にあえて気づかない軽小説の主人公のように振る舞った。

 ぼくはこうして現実に生かされていると感じる。
 
 でも、それは実体を持って生きているということとはまったく別次元の話なのだ。ぼくは彼女にほんとうの意味で触れたりすることができない。なので子孫を残したり――そういう人並みの幸せを、彼女から奪ってしまっているのではないか? 
 そう感じてしまうことは、正直なところある。

 でもやっぱりあなたと共有するこの時間を、何よりも、大事にしたい。
 正しい間違っている、じゃなくて、ぼくが、そうしたい。そうありたい。
  
 どうか願わくば、永遠に。

「君の作ったものを見るのも好きだし、食べてるところを見るのも……それが、幸せなんだ。君との時間を共有できれば、それだけで――」 

 これは、わがままだ。でもわがままを貫くからには――

「――!? あ、あなた……」

 ぼくは彼女の顔に近づき、唇を重ねる真似事をしてみせる。かわいらしく動揺する彼女。これはどこまでいってもこれはお互い触れ合うことのないおままごとのようなしぐさなのかもしれない。

 でも、そうだ。自虐的になっても仕方ない。
 
 ぼくが、彼女との時間を奪い去っていることにも気付かせないほどに、幸せにしてみせればいいんだ。現実に存在していないことなんて忘れさせるくらい、彼女を――凡河内結という女性を愛してみせる。


 生まれ変わっても、二度と王家には生まれまい。
 
 そう、思っていたけれど――生まれ変わってしまった以上、なんらかの意味を見出していかなきゃならない。

 多くのものや人を取り込み犠牲にしてまでぼくの生まれ変わった意味。
 それは、今ここにいる人を幸せにするためなんだ、と言い切れるやり直しの生でありたい、とぼくは強く思うのだった。

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