拝啓、不安様

不安の全くない人というのはいるものなのだろうか?いるとしたら、どんな生活をしているどんな性格の人なのか。

私は不安ととても仲がいい。不安はいつも、私がさみしくないようにとでも言いたげに、私に寄り添ってくれる。そんな不安をうっとおしいと思いつつ、目の届く範囲に不安が居なくなると、私は大声で不安を呼ぶ。すると不安は何処からか湧き出すように戻ってきて、ここにいるよ、とまたそっと私に寄り添うのだ。

うっとおしい思いつつ、いなくなってくれと思いつつ、私は不安がそこに居ないと、不安で不安でたまらない。
いなくなってしまえば、何かとてもよくないことが起こる。私にも、周りの人にも、とてもよくないことが起こる。
不安が寄り添っているから、私は早く走れない。早く走れないから、危ない道でも少しずつ進む。
不安が寄り添っているから、私は階段を一足飛びには上がれない。上がれないから、一段一段、踏みしめて登る。
不安が寄り添っているから、私は空を飛べない。飛べないから、寄り添う大地と空を、時の移ろいのままに眺めることができる。

けれど不安がいなければ、私は確認もせず闇雲に道を進んで、最後には道に迷ってしまうだろう。負傷もずいぶんするだろう。致命的なものも。
段差などステージだと言わんばかりに滑稽な劇や踊りを見せるだろう。そしてあっけなく足を滑らせて落ちていくだろう。
空などいくらでも飛べるさと、ふわふわ浮いて行ったまま、2度と降りてこないだろう。降り方を知らないのだから。不安がいなければ。

これからも、私は不安が寄り添うたびに、うっとおしい、いなくなれと思うだろう。
でも、不安よ。
少しぐらいは、あなたにありがとうと言いたいと思う。

私の重しになってくれて、ありがとう。
おかげで人より随分のろまな私だけれど、酷い思いもしているけれど、その分随分いいものも、たくさん見れたと思うのです。

#日記 #エッセイ

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