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第7章 好きなことで生きていく

アルバイトを始めた時の時給は1000円、1半荘400円のゲーム代は完全に自腹という待遇だった。勤務時間は1日12時間。仮にその日10半荘打ったとしたら、ゲーム代を除いた日給は8000円となる。これを時給換算すると―― というようなことは一切考えなかった。

そもそもお金のためならサラリーマンは辞めてないし、同じアルバイトでも松屋の深夜アルバイトのほうがずっと時給は高い。正直給料なんかどうでも良かったのだ。

大好きな麻雀を打って給料がもらえる

こんな神待遇の職場は他に知らない。バイトを始めた頃は社員の人にお願いしてシフトを譲ってっもらったりもしていた。休みの日も当たり前のように別のフリー雀荘へ通う。そんな生活を1年半以上続けても、全く麻雀に飽きることが無かった。

木原君、今度メシでも食いに行かないか――

誘ってきたのはお店の常連客だった川上さん(仮名)年の頃は40代半ばといったところだろうか。ビジネススーツが似合う礼儀の正しい人だった。フリー雀荘には本当に色んな人が来る。普通に働いていたら一生出会うことも無いような人達とも一緒に卓を囲み遊ぶのだ。お客さんに食事や飲みに誘われること。雀荘で働いていると、こういった話は何も珍しくはない。

木原君さ、うちの会社で働いてみないか――

川上さんの役職は〇〇部長(忘れた)だったが人事の権限もあるらしい。全国に支店があり、総従業員は500人くらい。その会社で経理の仕事を打診されたのだ。会社案内の冊子までいただいた。きっと本気なのだろう。給与面も年相応で何も不満はなかった。不満は何も無かったのだが――

この時は三十路一歩手前だった。これが真っ当な道へと戻る最後のチャンスだとも感じていた。しかし持ち帰りもせず、その場でお断りさせてもらうことにした。

最初の雀荘で働いた期間は3年ほど、あれほど大好きだった仕事中の麻雀も、働いて2年を過ぎたころから急速に飽きを感じてきた。誘われた時はまだ1年目、麻雀モンキーの真っ只中だったのだ。もしも誘いが後1年遅かったら、その会社にお世話になっていたかもしれない。

たぶん退路を断ったこの瞬間に決めたんだと思う。自分はこれから好きなことをして生きていこうと、自分は将来麻雀で食っていく道を選ぼうと――



つづく


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