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『Papers, Please』雑記 サーマルプリンターを手に入れ、猫になりたい

【本記事にストーリーのネタバレはありません】

 皆さん、ペーパーワークは得意ですか? 私は殺したいほど憎いです。

 『Papers, Please』というゲームを遊んでいます。『Return of the Obra Dinn(オブラ・ディン号の帰還)』と同じ製作者さんだよ、と言えば思い当たる方もいらっしゃるのではないでしょうか。『Papers, Please』にはエンディングがなんと20種類もあり、現時点の私は第4、第18、第1エンディングのみを見ることができた状態です。steamのストアページには以下のような概要が載っています。

おめでとう。
10月度勤労抽選により貴方を入国審査官に命ずる。
即座配属のため、至急グレスティン国境検問所の入国管理省に赴くように。
貴方とその家族には、東グレスティンの8等級の住居が割り当てられる。
アルストツカに栄光あれ。

ここは、共産主義国アルストツカ。隣国コレチアとの6年間の戦争がついに終わり、国境の町グレスティンの半分を正当に取り戻し、晴れて国交を再開することに。あなたの仕事は入国審査官としてアルストツカへの入国者を審査することです。仕事を探している移民や観光客の中に潜む密輸業者、スパイ、テロリストたちを見極める必要があります。入国希望者のパスポートをはじめとする数々の書類をもとに、入国を認めるか、拒否するかを判断しなければなりません。

 てなわけでプレイヤーである私は検問所で働くことになりました。

▲ゲーム画面はこのように3分割されていて、上部が検問所付近の鳥瞰図、左下部が受付窓口、右下部が手元の机上となっています。長い長い列が連なっていますが、検問所には私ひとり。それだけですでに憂国の情がMAXです。

 プレイヤーの仕事は書類を確認してハンコを押すこと、これが基本です。アルストツカは本当にマジでめちゃズタボロな国なので、形骸化した検問用の書類がどんどん増えていきます。国際情勢が不安視され、犯罪や疫病の危険も増す中で検問が負う役割と責任は日々膨張していき、そこに駄目なビューロクラシーあるあるの“やってる感”、“仕事ごっこ”演出が拍車をかけるため、書類がワサワサと増えていくのです。昨日まで使えた証明書が使えなくなり、非常に似た名称の新しい証明書に置き換わるということが数日ごとに起こります。入国希望者はもちろん、吹けば飛ぶような木端役人である審査官(プレイヤー)自身もその変更に翻弄されます。必要書類不足で入国を拒否した入国希望者には「クソだな」等の言葉を浴びせかけられますが、もうこちらとしても「ですよね~。僕もクソだと思います~」と言いながら見送るしかありません。プレイヤーは国境の検問所で孤独に作業しますが、机上に広げられる細々とした書類を見ると、何処か遠い役所で虚ろな目をしながら似たような事務作業に従事し、必要書類を発行している見ず知らずの“勤労者”の存在が偲ばれ、合わせ鏡の中に映ったやつれた自分の顔が無限に増殖していくような虚無感に意識が遠のきます。

 勤務時間は午前6時から午後6時。地獄かよ、と思いますが、ゲーム内の時間進行はかなり早いためあっという間に一日が終わります。しかも給与は審査した人数に基づく出来高制! こんな公務員っぽい仕事なのに、一家で唯一の働き手として金を稼いで家族の健康を守るためには、かなりシビアな仕事ぶりが求められます。公僕としてのがんじがらめな責任と資本主義的能力報酬性の悪いとこ取りをした、まごうことなきファッキンブルシットブラック職場です。家族を食わせるために、業務中はパスポートと複数枚の書類、さらには眼の前にいる人物の人相や体重計に表示される数字の間に矛盾が生じていないか、眼球を右へ左へできるだけ高速で移動させて照合します。矛盾点があれば質問をし、不備があれば拒否印を押します。不正に作られた書類であったり、身体検査で危険物の持ち込みが発覚した場合等は憲兵を呼び拘束してもらいます。

 しかし、指名手配犯やテロ組織もウロウロするような緊迫したファッキンブルシットブラック職場である検問所にも、一服の清涼剤とでも呼びうるものがあります。それはガジェットです。

 代表的なのはハンコです。ゲーム画面の該当箇所をクリックすると、フレームに固定されたハンコが横からスライドしてきて、パスポートの該当箇所を下にあてがって押すと、ガチャン、と音がして印字がなされます。スライドして、ガチャン。スライドして、ガチャン。これだけなのですがなんとも気持ちが良いんです。
 私が特に気に入っているのは臨時書類発行時のジジ……ジジジ……というプリント音。これがたまらないのです。私はこの音にキュンと来すぎて、大した見通しも無いままに今現在サーマルプリンター(レシートに使用するような感熱紙を用いたプリンター。長期保存には向かないがインク不要なので手軽でコンパクト)が欲しくてたまらなくなっています。

 ゲームのストーリー演出を盛り上げる壮大なBGMや、『ゼルダの伝説』の「ごまだれ」のようなシンボリックな効果音はもちろん重要ですが、それらとは趣を異にする、一見取るに足らないような効果音・動作音の持つ魅力も、ゲーム全体の出来に大きく関わっています。この感覚はゲームをそれなりにやったことがある方なら誰でも同意してくださるでしょう。『マインクラフト』の土を掘るポクポク音には多くの人が魅了されたでしょうし、『Splatoon』では、インクを撒いてるだけで気持ち良く感じるよう、スライムを叩きつける音などをサンプリングしてサウンドエフェクトにこだわった、というような制作秘話がありました。ただ弾薬をリロードする時の音、ただメニュー画面を開く時の音、ただカーソルが移動する時の音が大気のようにゲーム体験を支配し、没入感や中毒性を大きく左右するのです。

 また、パスポートを始めとする書類も、窮屈な業務を象徴する存在でありながらある種の美しさを備えています。紙幣は最も身近な芸術であるという言葉がありますが、複製の困難さに重きをおいた印刷物は一定の複雑性と様式美を備えていて、意外に見応えがあるものです。そんな紙片に人間の個人データが詳細に記されているさまは、どことなく精密な部品が詰まった時計のような風情があります。忌まわしい書類であってもゲーム内でドット絵として提示されると、なんとも言えぬ味わいがあって、愛おしさすら湧いてくるのです。

▲ゲームも後半戦になると判断材料となる書類や選択肢が増えていきます。煩わしいものの、ドットのフォントや書類の色形、文字と共存する印章はとても魅力的です。どの国のパスポートもサイズは同じですが、国ごとにページの意匠が少しずつ異なっていて、統一感と差異の均衡が面白いです。

 聴覚と視覚を刺激する微細な心地良さが単調な事務作業と絡み合い、この灰色の世界観のゲームに、形容しがたい奥深さをもたらしています。あぁ、私も無意味な文書をジジ……ジジジ……とプリントして、無意味なハンコをガチャンと押したい!! そんな訳の分からない欲求が、このゲームをすると嵐のように心に吹き荒れます。これが、恋……??

 『Papers, Please』をやっていると、現実もこのようなものなのではないかと思えてきます。つまり、全体としてはファッキンブルシットブラック環境であるにも関わらず、ちょっとした感触が光明として差し込むせいで、根本的なファッキンブルシットブラック問題が解決しないのではないかと。現実世界でもカーボン転写された控えを切り離す時のピリピリ……という感触が好きだな、とか、ハンコを押す手応えに合わせて心の中で「デュクシ!!」って叫ぶのって楽しいな、とか、そういうごくささやかな感触がペーパーワーカーたちの精神衛生を保つ一助になると同時に、邪悪な“やってる感”、“仕事ごっこ”演出そのものを存続させているのかもしれません。ごくたまに優しくしてくるDV彼氏とズルズル別れられないままでいるような不合理な哀愁が漂います。
 そもそも「書類がなんとなく好きだから」という理由で、なんとなく大量の書類を発行させている上層部の人間とかがいそうなのが、現実世界の怖いところです。そういう人は同人誌を作ってください。

 もう格好つけるのは止めましょう。猫がティッシュペーパーを引っこ抜きまくって部屋中に散らかすこと、きっとあれがペーパーワークに差し込む光明の本質なのです。猫にとっては、シュパッとティッシュを引っこ抜く感触、ひらひらと舞い落ちてくるティッシュの動き、そしていつの間にか引き出し口に現れている次のティッシュ、それらすべての現象と感触が純粋に面白いのでしょう。人間がティッシュを引っこ抜くことに給与が発生したら良いなとも思いますが、おそらく給与が発生した時点でティッシュペーパーワークは“仕事”として認識され、本来の輝きを失っていくはずです。

 何も書かれていないカーボン控えをピリピリしまくったり、どうでもいいチラシの裏に「社外秘」ハンコを押しまくったり、架空の企業ロゴをサーマルプリントしまくったりする、無意味で愛おしい時間が、猫と同じように人間にも必要です。私達が煩雑で形骸化したペーパーワークから逃れ、“やってる感”、“仕事ごっこ”的な浅ましい無意味さとは一線を画す、真に無意味で、故に必要な感触を思う存分享受できる未来が来ることを願います。ベーシックインカムを導入してください。

(おわり)

たすかります!