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決めない人たち

17年間、IT界隈で仕事をしてきて、意思決定をしない人たちが如何に多いかを思い知った。

「決めない人たち」は、仕事だけではなくて、プライベートでも多い。

もともと僕は決めるのは早いタチで、買い物に行くとすぐ決めてレジに並ぶ。直感で選ぶタイプなのだ。

服を買うとか、食材を買うとか、もうほとんど決まっているようなものは直感で選んでレジに運ぶ。

特に衣料品なんて、どうせ悩んで買ったところで、来年は着ないかもしれない。いざ試着して悩んで、また明日着てみたら「やっぱそうでもないな」みたいなことは多い。

そんなことに貴重な時間を費やすならば、さっさと買って帰って別なことをすればいい。昼寝してた方が悩むより効率的な時間だと思っているので、ゆかりのない店舗に可処分時間をくれてあげる必要も意味もない。


「悩む」という行為は健康に悪いことで知られている。悩みを解決する方法の一つに読書があるが、1日に30分読書する習慣を持つ人は、そうでない人と比べて2年長生きすることがイエール大学の研究結果で知られている。

それだけ「悩み」というストレスは身体に悪い。


「決めない」というのは「悩んでいるから決められない」の他にもうふたつある。

・決めることで責任を取らされることが嫌だから決めない

・決める根拠に思考を巡らすことが面倒だから決めない

このふたつだ。

一つ目の責任を取りたくないというのは、ある程度どういった責任を取らされるかが推測できるレベルのひとが陥る思考だ。

ここで決めて、もし失敗したら自分は責任を取るために謝罪やリカバリ対応といった行動を取る必要があるだろう、それは嫌だ、という思考だ。簡単に言えば、怠慢で、その責任を他人に押し付けたいという卑怯な考え方だ。

二つ目の思考が面倒というのは、さらに厄介な進化版(劣化版?)で、「責任範囲はこうである」みたいな思考以前の問題だ。

その内実は、「どうせ責任を取ることはしないから、思考することすらやめて他人に任せよう」というところにある。

完全な思考停止状態であり、それによって「決めない」ことに何の抵抗感もない、といった境地にある。

物事が上手くいかないのは、誰かが決めないからだ、もっといい方法があるはずなのに、ちゃんと考えてやればいいのになぁ。と文句ばかり言うだけで、自身はその具体的対策を思考すらしなければ、アウトプットすらせず、極力、意思決定する条件を満たさない状況に近づけようとする


これが意外と本人は自然に演出しているように見えて、周りには「そういうタイプね」とバレバレなので痛々しい。

自分は関係ない。

自分はそういう立場にない。

自分は決める人じゃない。なぜなら決める条件が整っていないから。


そう自分に言い訳することに時間を費やす。それがもっとも時間の無駄だということにも気づかずに。

そのような愚かな人を多くみてきた。

仕事でも、プライベートでも多くみてきた。彼らと付き合えば付き合うほど、自分の時間が吸われて無くなっていくことも知った。

生産性がない人たちとの関わり合いは、時間という人間共通にして最高の貴重性を持つ資源をドブに捨てていることと変わりない。


面白いことに、そういった「決めない人」を見破るワードが一つある。

特に議論になった際などにこのようなセリフを出た時は注意してほしい。


「それは決めの問題だね。」


この言葉は、それを決めるのは自分ではない、と訳して良い。注意されたし。

創作意欲の支えになります!