WE HAVE WINGS | TOKYO 2020 パラリンピックが開会
互いの違いを認め合う。
そしてその全てが対等である。
多様性の真の意味は、何も障害者や性の多様さだけの話に限ったことではない。
開会式のテーマは「WE HAVE WINGS」。
自由に、一人一人が飛ぶことのできる翼を持っている。演出は、先に開催されたオリンピック開会式とは異なり、テーマに沿った統一性で終始一貫しており、素晴らしい開会式だった。
1年延期されたオリンピック、そしてパラリンピック。その1年の間に病に倒れ、この日を迎えることができなかった選手もいる。
パラスポーツのアスリート達は、世界情勢が過去に類を見ないほど不安定な中、苦境にめげず、鍛錬を続け、TOKYO 2020 パラリンピックの開会式を迎えた。
アスリート達を支える人々も、その多くがこの日を迎えることを特別に思うだろう。
物理と心のバリアフリーが万全でないこの世界において、障害を抱える一人一人は、生きるだけでも苦労が多い中、アスリートとして競技大会に参加するまでには周囲の人々の助力が必要だ。
助けを求めている人を助けること。
夢を抱く人を応援すること。
これは、障害者に対するのみならず、全ての人に共通する美しい、まさに人間らしい心だ。
何か困っていたら助けてあげたい。
他者のために頑張りたいと挑戦する人を支援したい。
パラリンピックは、日々の生活の中でそれらの気持ちを芽生えさせてくれる、育んでくれる、高貴な活動の一つである。
身体機能の障害をもつ、医学的にも見た目的にも障害とわかる人々以外、セクシャルマイノリティの人々や心に障害を持つ人々は、一見わかりにくいものだ。
私たち一人一人が考え方も違えば価値観も異なる。
性格も違えば得意分野も異なる。
一人一人がその違いを認め合い、尊重できる世界。パラリンピックがスポーツを通して、真に人と人が対等となる世界をイメージさせてくれる。
世界の人口の15%は何らかの障害を抱える人だという。彼らの中には、他の85%と同様に扱われたいという内なる願望があるそうだ。
小学生の息子と開会式を見ていると、片手を失った選手や、片足のない義足の選手を見るたびに、「かわいそうだ」という感想を述べていた。
また、息子の学校にも片手に障害のある少年が在校されているそうで、他人事ではないように感じたらしい。
身体機能を失った友人と、身体機能を失っても世界トップレベルのパラスポーツ競技に挑む選手を見て、子供達は何を感じるのだろうか。
「かわいそう」
開会式でそう感じた息子の感情が、競技を見てどう変化するのか。
何より、私自身、東京開催であるこの大会で何を感じるのか、一人の人間として心に正直にありのまま感じようと思う。
いつか、パラスポーツがパラリンピックとしての開催ではなく、オリンピックにパラスポーツが組み込まれるような、壁のない、真の多様性社会が待っているだろうことを信じて、選手達を応援したい。
オリンピックでは勇気をもらった。
パラリンピックではその「勇気の翼」で一歩踏み出した先の、人類の可能性を、世界中の人々と分かち合いたい。
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