見出し画像

泳ぐ人間

起源が一緒だけあって魚類と人類には多々共通点がある。

4億年前、魚類が四肢を得て陸上に進出した際に「泳ぐ」という感覚を退化させたかと思いきや、水泳競技や海水浴のように水の中を渡る行為は人間を夢中にさせている。

そして水泳に限らず、日々泳ぐように人は生きている。

人間社会は都合と都合のぶつかり合いが全てだ。

波のように押し寄せてくる都合に、ぶつかっては飲まれ、時に回避したり、見て見ぬふりをしたりして生活している。

これは生まれた時から老人になるまで変わらない。

赤ちゃんは親の都合に合わせて、泣き笑いを繰り返して自分の要求を伝える。

幼児になると、言葉や態度で、親の都合に自分の都合をぶつけ、お互いにバランスの取れた納得解を見つけていく。

小学生になると、友人たちとの遊びの中で、同年齢の仲間それぞれの都合の中で渡り合う術を身につける。

中高生になると、学校や部活など、組織のなかで自分の都合を如何に実現するかを学ぶ。

大人になると、より複雑な人間社会で、遅いかかる数々の都合に身を晒すことになる。いわゆる既得権益に代表される、社会に長年身を置いた者たちの権利を「正解」と見做す、矛盾と忖度に満ちた世界で。

老人になると、自身の子や、社会福祉制度の都合に対して、自身の都合が押し負けるようになる。社会的弱者となり、ストレスで性格すら歪んでいく。


人間は集団でなければ生活できない。山村で自給自足するのでない限り、個人で生計を立てていくことはできないし、社会から阻害されることで、自己実現欲求が満たされず、やはり社会に渇望するようになる。

そんな矛盾の海を泳ぐように、人は生きている。


生まれてから、死ぬまでずっと、繰り返し繰り返し、都合の海を泳いでいく。

太古の祖先から姿形は変われど、今日も同じことを繰り返している。

創作意欲の支えになります!