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音声配信は三次元的で、文章は二次元的

stand.fmで配信中の私のラジオ「ココロテラリウム」。

「心を育てる」をテーマに、未熟な自分とこれでもかと晒しつつ、たまたま聞いていただいた方の、何かの役に立てばいいなと続けております。

2020年の9月からはじめ、(いわゆる9月組)、なんと気づけば207回も配信しています。びっくり。


音声配信を続けていると、自分の人間性の未熟さがよくわかります。

「ああこんな言葉遣いしちゃダメだよなぁ」とか、「聞く人のこと考えられてないなぁ」とか、ダメな部分が浮き彫りになって「見える」ので、自分の声を聞くという行為は人間力を高めるのにとても重要だぞと最近思い至りました。

精進します。

一方で、文章はそれはそれで能力が分かりそうなものですが、いくらでも推敲できるので表面的なところしか見えません。

文章からは感情の機微をダイレクトに感じることはできず、文字や文脈、選んだ言葉によって、読み手の主観によって都合の良い情報に変換されます。

声によって、音の振動によってダイレクトに伝わる情報量は、文章と比較すると二次元と三次元くらいの差があるなぁと感じます。

特に視覚に依存しないところが良くて、

文章→二次元
音声→三次元
動画→三次元寄りの二次元

といった感じです。

人は耳から聞こえる立体的な音響を敏感に捉える能力に優れているようで、危険察知は目より耳からの方が感度が高いです。

嫌な音、大きい音、異音。

そういったもので違和感を感じることに長けていて、ネガティブな情報をいち早く耳から察知します。

また、逆も然り。耳に良い音を届けると、安心感を得ることができます。目や鼻で感じるそれらよりも一層効果が高く、例えば、音楽はその代表例ではないでしょうか。

好きなアーティストの歌声や演奏を聴くことで、気分は高揚します。

大きな会場のオーケストラ、ライブハウスのバンド演奏、ジャズバーのムードある音楽、イヤホンから聞こえるお気に入りのJ-POP。

また、YouTube動画の制作を勉強していると、音声の重要性がかなり謳われています。

目で見て素晴らしい映像だったとしても、耳障りの良くない音声や、BGMのバランスが悪かったりすると、再生数は格段に落ちるそうです。いい音を届けること。人が主体的に得ようとするコンテンツは、「音」が最重要であると言います。


音声配信を続けていると、自分のバイオリズムもわかります。

たまに自分の収録を聞いていると、
ほんっとうに調子悪そうな日や、明るく快活に話す日、
真面目な理論を延々話す日もあれば、
超雑談で誰得?みたいな話を陽気に語ったりする日、
若干苛立った出来事があった日や、
子供たちと遊んでとても楽しかった思い出を話す日
弱音ばっかり吐いたりする日や、
自信たっぷりに論じる日など、千差万別。

日によって色が違う自分の声に、こんなにも自分は心の表情が豊かだったのかと気付かされました。

あまりやらないと思うんです。自分の声を聞くって。

自分の声は骨伝導で聞こえるため、録音で聴くと変な感じに聞こえますよね?

「ちょっとイメージと違ってて嫌だ」って感じるのでその違和感から自分の声を聞くことから遠ざかることが多いのだと思います。私の場合、200回以上自分の声を聞いたという実績から、もう全くそんなことは思わなくなりました。単に慣れただけですが、しかし得るものも多かったように思います。

人に伝えるときに、あまり口調に気を遣っていませんでしたが、ラジオをきっかけに言葉遣いや声のトーン、滑舌などを気にして話すようになりました。

行間によく、息を大袈裟に吸ったりだとか、口がぺちゃくちゃ音を立てたりだとか、行儀が悪く聞こえてしまうような癖を修正するようになりました。

ひどい癖で、会話しながら舌打ちとかしてました。流石にそんなことを講習に配信するわけにはいかないので、意識して改善しています。


声の印象は三次元的で、ダイレクトに人の感情を伝えるものです。

その威力を知ったからこその行動の変化に、音声配信を継続してよかったなと心底思います。


おもちゃコレクターの北原照久さんのこんな言葉があります。

身体は食べたもので作られる

心は聞いた言葉で作られる

未来は話した言葉で作られる


私の声を聞く人の心が、少しでも穏やかになれますように。

そして、話した言葉が私と皆さんの未来を明るいものとするように、丁寧で優しい言葉を発していきたいと思います。


創作意欲の支えになります!