到達点よりも過程の景色に惹かれている
振り絞っているのだが、なかなか出てこないものがありつつも、それがまた心地よい状態だ、という変な記事である。
情熱というか、意欲というか。知的好奇心もさほどない状態。
何かを欲しいという物欲もなければ、誰かに認められたいという欲も無くなってきた。
まるで仙人なのか悟りを開いたのか、なんなのか。
ちょっと前まではあらゆるインフルエンサーの情報をインプットしまくっていて、朝から晩まで自己啓発だったのだが、なんだか最近はそれらの情報を入れることも自然となくなった。
ビジネス系のYouTubeや音声も、
ブログもNewsPicksも、徐々に興味がなくなった。
今、意識が向くことといえば、自分の遠く離れた夢に向かって、自分のペースで如何にコミットするかということと、
家族に愛情を如何に注ぐかということ、
自分にいかにストレスフリーな時間をプレゼントするかということ、
そんな今日この頃なのだ。
ずっとやっていなかったスマホの昔のゲームアプリを起動してみたり、
足繁く温泉とサウナに通ってみたり、
庭に樹木を植えたり、せっせと水をやったり、
とにかく酒を飲んで早く寝てしまったり。
たいして上手でもないギターを弾いて歌ってみたり。
monogatary.comに小説を書いたり、クリエイティブな方向に時たま振れる。
朝は早く起き、家族の朝食を用意し、
夜は仕事の合間に夕飯を作る生活で、
昼食は2日に1度くらいのペースで食べたり食べなかったりしている。
朝と夜は6歳の次男と体操している。体操といっても、仰向けになって、次男坊を足と手で飛行機遊びみたいに、持ち上げるという遊びみたいなものなのだが、これがまた腹筋に効くので、一石二鳥と思って二人でハマっている。
おかげで体重も程よく落ちて、サウナに行くたびに計測しているのだが、ベストな体重をキープしている。体調も全くもって問題ない。
大きく生活が変わっていることが原因かもしれない。
1月末で会社を辞め、2月と3月いっぱいは研究開発に没頭し、特許出願を行なった。ブロックチェーン技術によるもので、NFTによって電子書籍を販売し、書店に収益化をなんとかしてもたらすというものだ。
4月からはフリーランスとして仕事を2案件ほどこなしつつ、生計を立ててきたのだが、生計を立てるどころか、それまでの稼ぎよりもだいぶ余裕があり、生活にもほぼ出勤がないために余裕があり、何やら生活様式ごと余裕だらけになってしまった。
幸いなことに、7月からは従業員という形で2名に週3勤務でご協力いただくことにもなり、完全に新しくもフレキシブルな組織体系を作っていくことにも挑戦することができた。出会いに感謝。
初めての労務処理が結構大変なのであるが、それもまた楽しいなと思っている。結局今後、法人を作って組織していくのだから、その過程でしかない。
僕には、出版業界やテクノロジー業界を舞台にした大きな目的があって、それは何やら世界を変えたりだとか文化に革新をもたらしたりするたいそうな物なのだけど、
その目的に向かって、全速力で走らなければ!
と思っていたのが、今年の初めくらい。
今は、目的に向かって如何に遠回りして、色んな人を巻き込んで、自分自身の自然体のままに達成するのかということを考えて過ごしている。
周りを見れば、即断即決で戦闘機並みの速度でビジネスを加速させている人々が多い中、僕は加速させることよりも、何か大事なものを探していて、その探し物をする寄り道がすごい面白いなと感じている状態が今だ。
学ぶこともその寄り道の中に実はあったりして。
生きていると全部繋がっていて、気持ち悪いくらい関連しているらしく、突っ走って事故を起こさないように、右見て左見て進んでいると少し目的地に近づいたりしているみたいだ。
時計の針を手動で高速回転させているような生き方をしてきたけれど、ぐるっと巻き戻したり、ゼンマイをちょっとしか巻かずにゆっくり秒針を進めてみたりしているような生き方をしている。
毎日気が向くままに、面倒なことも楽しみつつ。
目的地や製作物の完成系を楽しみにするよりも、途中途中の景色の美しさや、失敗した時の笑い話の方が好きで、なんというかそういう定型的でない、生の、二度と来ないような、やろうと思っても手に入らないものが欲しいという欲があるらしい。
過程を楽しむことは、自分自身に余裕がなければできないことだったんだなぁ、なんてことを考えている。
ストレスのない方に進んでいけば、きっと明日死んでも後悔はない。どうしてもやらなければならないことなんて、そんなに無い。
急がず、焦らず、今日も最高の一日を。
あ、そんな感じでメッセージに返事をできていないことも多いので、そちらは気ままにお待ちください。
気分が乗ったら返事するようにしております故。
ではまた。
創作意欲の支えになります!