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心の故郷

高校時代のクラス会があった。

元々予定していた日取りだったのだが、東京開催とするには最悪のタイミングだった。

この前日には、東京都の新型コロナウイルス感染症に対する警戒レベルが、段階4に引き上げられた。3連休の活動は自粛するように呼びかける中、少ない人数での開催となった。

互いに感染対策を気にしつつも、話には花が咲いた。
大人数よりも少人数であったことが良かったのかもしれない。

話が複数グループで分散しないし、誰かが懐かしい話を振れば、みんなでその記憶を探る時間になる。

そんなことあったっけ?
あの先生の顔が思い出せない・・・
1年のときのあいつの名前なんだっけ?

20年も経つので、それぞれ覚えている出来事や人物がバラバラで、お互いの記憶を補完しあいながら、当時の印象を語り合った。

学生だった僕らは、今ではみんな社会人であり、人の親になった。

仕事の話や育児の話を、高校生から20年の時を経て語り合うのは新鮮で、倍以上の人生を経験した僕らは、不思議と互いに遠慮することなく価値観を交換することができた。


僕らの通っていた高校は、東日本大震災の影響で、休校となっている。放射能が降り注いだ影響で町民は大規模に減り、学校周辺はいまだに潰れた民家がそのまま放置されている。

僕が故郷に寄り付かなくなった理由は、震災だけではない。県外への進学と、親の離婚による引っ越しで、故郷による帰属意識が薄れた状況だった。

そこに震災が起きたことによって、決定的に帰る理由がなくなった。唯一帰る場所だった、大好きなおじいちゃんおばあちゃんの家も津波で粉々になったからだ。

自分の暮らした家はなく、好きだった祖父母の家もない。
放射能の降り注ぐ地域に敢えて立ち入る理由もなければ、そこには知り合いも住んではいない。

僕が故郷そのものを忘れてしまうのに。それ以上理由は要らなかっただろう。


だが、僕には友人がいた。
昨日会った、10代の頃に一緒に過ごした友人たちは、ひと目見ただけで当時の記憶を強烈にフラッシュバックさせた。

一人の大人として社会の波を泳ぎ、親として子供たちを育てることで必死だった僕の中にも、まだ高校生の頃の自分が確かに残っていた。

記憶が当時の匂いを思い出し、記憶があの時の感情をどこからか連れてくる。

あれだけ夢中だったのに、すっかり忘れていた恋心や、とても嫌な思いをしたトラブル。
楽しかった教室の風景や、時には喧嘩をしたこと。
視聴覚室へ向かう廊下。教室の窓からの風景。靴箱。体育館。雨の帰り道。

それらを忘れてしまう事は出来なかったようだ。
きっとみんな、誰だってそうだ。

友人が、高校生の頃の自分を、記憶の海から引き揚げてくれた。

僕のこれまでと、これからの人生には、原発の町、福島県双葉町の高校に通っていた歴史が彩りを添えてくれる。

あの町で過ごした時間は意味がある。

帰る事がなくなった故郷に、もう一度目を向けよう。どんなに変わり果ててしまっても、心の故郷はそこにある。

昨日会った友人が、あの頃の僕が、今の僕にそう言っているように思うからだ。

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