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世紀の大企業、村田製作所

今回は日経平均株価に銘柄入りした村田製作所について❗️
調べたことをシェアします。
このNOTEを読めば

・村田製作所の沿革
・創業者の人生 をドヤ顔で話せます😄

村田製作所は京都府に本社をおく電子部品メーカー。
BtoBの会社であり、あまり知名度はないかもしれないですが、下のCMは見覚えがあるはず。
現在の営業利益率は19%、日経平均株価225・TOPIX30にも選出されており、主力製品であるセラミックコンデンサ(蓄電器)を初め多数の製品で世界シェアトップを誇っている。
BtoBや営業利益率についてはこちらの記事に書いてます。

村田製作所の創業者は、村田昭さん。

村田さんは1921年、京都府に誕生。実家は陶器屋を営んでいました。
高校入学後、村田さんの人生に転機が。

肺結核に罹患し、高校中退を余儀なくされてしまったのです。

村田さんはなんとか肺結核を治し、家業を手伝うことを決意。
ここから村田さんの経営者としての人生が始まります。

村田さんは、家業である陶器屋を大きくする方法を考え抜きました。
結果、一つの答えが出てきます。

競合しない製品を作ればいい

村田さんは、陶器の中でも特殊陶器、精密特殊磁器に注目し、製品化を進めていくことで事業を拡大しました。

1944年、村田さんが23才の頃に意を決して村田製作所を創業。三菱電機の下請け会社になります。

当時は戦時中であり、電波兵器レーダー用チタンコンデンサ(蓄電器)の製造・販売することで経営を回していました。
しかし、終戦すると軍事品の需要は当然減ります。

同業の企業が倒産していく中で、なんとか生き残る道はないか?

そう考えた村田さんは、当時流行っていたラジオに目を付けチタンコンデンサの製造を再開し、なんとか経営を繋いでいきます。

その後、京都大学と共同研究し
1947年、チタン酸バリウムをコンデンサへの応用へ成功。ラジオ部品市場を席巻しました。
このチタン酸バリウム、コンデンサの材料として超優秀。
チタン酸バリウムが開発されて半世紀以上経過した現在も、チタン酸バリウム以上の材料は開発できておらず、他の追随を許さない状況となっています。

まさに世紀の大発明

1952年、村田製作所は防衛庁実施の米軍規格試験で唯一の認定部品メーカーとなり、自衛隊受注を独占し市場地位を確立しました。

1963年、一部上場を果たします。

1973年、日本の電子部品メーカー企業として初のアメリカ工場設立を果たします。

業界初・業界最小など数々の新商品を生み出し、電子部品メーカーとして世界でもトップシェアを誇る一流企業に磨きをかけていきます。

1991年、村田さんは70才で社長を退任。
現在は中島規巨さんが4代目の社長として村田製作所を支えています。

2006年、84才で村田さんは生涯を閉じました。
京都を代表する大物実業家であるにもかかわらず、財政界には顔を出さず
生涯本業一本で生き抜いたという伝説の男、村田昭さん。

そんな村田さんの名言で締めとさせていただきます。

「技術者でも商人でもない私がここまでこれたのは、人に恵まれたからである。私の半生は多くの方々との幸運な出会いと、温かいご援助に支えられ続けた賜物なのである」

感謝の気持ちを持ち続け、出会いと人の温かみを大切にする。
人としての在り方を学びました。

https://www.youtube.com/watch?v=oFd4NkPj1JU

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