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ジュニアの試合分析は「発育発達期」における可能性を含めて行うのがマナー。【ジュニアの分析04/僕の仮説42】

サッカーの試合分析において、「チームが有機的に機能しているか」はとても重要なポイントだ。

特にプロサッカーの領域において勝敗は最も優先順位が高いものになるから、むしろ個人より優先すべきものになる。だから、Jリーグやプレミアリーグなどの海外リーグの試合を分析するときはある意味、選手を将棋やチェスの駒のように例えて動かし、「ああでもない」「こうでもない」と議論することが楽しい。

しかし、これを育成サッカーを対象にして行うことは指導者として、大人としてダメな行為である。

なぜなら育成期の選手たちは完成されているわけではなく、職業としてサッカーをプレーしているわけではないからだ。自分のためにサッカーを楽しんでいる選手に、他者が「ああだこうだ」と評価する自体が「ただ他人の心に土足で踏み入れているだけ」にすぎない。まずはコーチだろうと、保護者だろうと、この点を理解することが大人の選手に対するマナーだ。

もちろん日本にもごく稀に小さい頃から「家族を幸せにするためにプロになると本気で思って一心不乱にサッカーをしている」子もいる。たとえば、南米などで貧しい暮らしを強いられている環境に住む子の中には、そういう子もまだ多くいるだろう。そのような子たちは、もしかすると通例には当てはまらないのかもしれないが、いずれにしろ日本の一般的な、特にジュニアについては「選手を駒のように扱って試合分析」をしてはいけない。

ジュニアの試合分析には「普遍性」という視点が必要だ。

それは発育発達期だからである。未発達な、まだ未熟な選手を完璧な役割をこなすプロ選手のように見立てて、ただ戦術的な世界観だけで分析することは、心が存在しないロボットの世界と同じだ。AIの世界のようなものだ。プロの選手ですら弱点があり、監督はそれを「他の選手との補完性をもって戦術起用する」からチームとして機能するし、プロのチームでさえ、それがあるから成り立つのだ。

選手を人間が務める限り、チームづくりには「補完性」の考え方を持って取り組まなければならない。つまり、どの選手にも長所や短所があることを前提に、チーム全体がどのようにプレーするのか、そのための原理原則を作って判断基準をどのようにするのかを、指導者がきちんと手仕事によって進めていかなければならない。

これはジュニアにおいても同様だ。未完成の選手を扱うからこそ「発育発達期」を考慮した上で「成長の可能性」を技術や戦術の部分だけに見出すのではなく、フィジカルやメンタル、人とのコミュニケーションから生まれる新たな発想の部分に期待するようなアプローチをとるべきである。

もちろん現代サッカーに適応できるような戦術の反復とその追求によるプレーの速度アップは求めていかなければならないが、「子ども自身が新たな価値観や発想を抱く」という点においては「人とのつながり」、たとえば会話、傾聴、意見を行うことでしかアプローチできない領域である。

これは一方的なコーチからの提示による指導では実現することは不可能だ。

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