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「楽しいがうまくなりたい」に変遷する、街クラブの普遍哲学。 【クラブ哲学編01/僕の仮説02】

ジュニアサッカークラブのアドバイザーを務めて1年半が経過した。

クラブから対価をもらい、仕事として「地域に根づくクラブ作り」に取り組んでいる。言葉だと聞こえはいいが、実態は、自分が想像するほど事が順調に進んでいるわけではない。ただ、少しずつ前に向かって歩くことはできている。今年の初練習で、うれしい変化が見られた。

それは代表の1日の練習がトータルコーディネートできていたからだ。

自分なりのサッカー指導がようやく形作られてきて、とても安堵している。うちは所属選手が30名ほどの小さなクラブだ。2・3年生と5年生が活動の中心で、1〜3年生と4〜6年生に分けて練習している。お世辞にも組織的、指導的にしっかりしているクラブとは言えないが、子どもが楽しそうにサッカーをしていて、お母さんやお父さんが見守る。そんな日常風景は描けるようになってきた。「当たり前だ」と思うかもしれない。でも、このクラブにとってはこれが前進だ。それは崩壊の危機に直面していた1年半前があったからなのだが、このことはいずれ綴りたい。

その日の1〜3年生は「サッカーのイメージを持つ」がテーマだった。

普通に考えると、漠然としたテーマかもしれない。ただ、これがうちのクラブの現実だ。なぜ代表はこれをテーマにしたのか? 理由は、昨年の11〜12月に2年生と3年生があるフットサルリーグに参加したのだが、その段階で掲げていた指導テーマを相手に見事に攻略されたからだ。

その段階のテーマは「とにかくボールに向かう」ことだった。それは甘えん坊が多く、コーチに言われないと行動できない、練習に来ているのにサッカーより気になったことに走ってしまうような子ばかりで、全員に意識改革が必要だったからだ。ここに至る過程にも、一つ前振りがある。10月の試合で代表からこんな相談を受けたことがキッカケだった。

「練習では、やっと子どもたちに自分が伝えたいテーマをトレーニングで表現できるようになったんですけど、試合になるとそれをどう指導したらいいかわからない。練習と試合とが結びつけられないんです」。

そこで、その日は私がサポートコーチに入り、外から指導をすることにした。私の中では、すでに明確なテーマがあった。それは子どもが持つ本来の欲求を満たしてあげること。具体的には、「ボールへの執着心」だった。どんな子も試合になれば勝ちたい気持ちはある。だから、試合前に子どもたちとこんな会話をした。

「今日はどうする?」
「何が?」
「試合だよ。目標は何にする?」
「勝ちたい!」
「なら、何が必要?」
「…」
「何がないと勝てないの?」
「…。あっ、ボールか」
「ボールを自分たちのものにしよう」
「わかった」
「相手がボールを持ってたらどうする?」
「取る」
「どうやって?」
「足出して」「体ぶつけて」…
「できる?」
「できる」
「なら、そこから。いってらっしゃい」

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写真提供=佐藤博之

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