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サッカーはチームスポーツ。ミスをどうとらえるかはコーチの技量次第!【ミスの許容06/僕の仮説28】

「あっ、ミスした」

ジュニアのサッカーコーチは選手のミスに過敏だ。いまだ感情に任せて怒り狂うほど声を張り上げているコーチを見かけるが、それを目にするたびにタメ息が出る。それはコーチの感情が優先されていて、選手が主役ではなくなっているからだ。残念な気持ちになる。

ミスはコーチの立場でとらえられなければいけない。

そもそもサッカーの試合の中で起こるミスをどうとらえるのか? 大切なのは「個人とチームという2つの方向で分析する」ことだ。重要なことは「同じミスをしないため」にどう修正するかであって、ミスそのものの事実を指摘することではない。

ミスを修正するために「その現象が起こった責任の所在がどこにあるのか?」を掘り下げて探し出し、それがわかったら個人として何を改善したらいいのか、チームとしてはどう改善したらいいのかを全員が理解し、初めて「相互プレー」という形でミスという現象がなくなる。

ジュニアサッカーでは、いまだコーチが一人の選手に集中砲火をあびせることが少なくない。ミスの責任の所在を見つけ出すことができないからと「連帯責任だ」とばかりに、コーチがチーム全員に長々と説教する姿も試合会場で見受けられる。それを見るたびに、いつも「レベルが低いな」と思う。

個人か、チームか。

どちらかでしかサッカーをとらえることができないこの現実に、個人的には疲弊することも多い。ストライカーのエゴイズム論に対しても同じように感じている。この両極端な議論がテーマになる限りは、日本サッカーの未来に希望を持つことがあまりできないし、世界と同じ土俵で戦うなんて想像もできない。

そろそろ日本そのものに目を向け、何が悪いのか、それがなぜなのか、それをどうすればいいのかという本気の議論をしたいものである。議論したとしても、自分と意見の合わない人をつるし上げて叩くのではない。建設的に「日本はどう歩みを進めたらいいのか?」をより深くより広く話を展開させていきながら、選手のプレーによってサッカーの成長を実感したい。

知識などどうでもいい。

コーチとして試合を分析しながら観戦していてチームが成長を、選手が成長をしていたら、きっと誰もがミスを許容できる。そのためにはミスが起こった瞬間に「その原因究明と改善方法がイメージとしてある程度具体的に浮かぶ」必要がある。それができないコーチほど選手のミスに対してイラつきしか覚えない。

個人的にはジュニアに限らず、すべての試合を見ながらミスが多発する傾向を読み取り、その現象をどう改善したらいいかまでイメージしながら試合を見ている。コーチのみなさんはいかがだろうか?

ミスした本人は技術的にこれを練習して戦術的にはこんなトレーニングをして、この状況を起こさないためにはチームとしてこういう立ち位置をとって、こんな●対●のトレーニングをして……そんなことを考えながら原稿を書いている。

モットーは指摘に終わらず、改善方法も示す。

サッカー人である以上、私は「これがマナーだ」と言い聞かせている。

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写真提供=佐藤博之

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