#38 十年前、人生が変わった日

10年前の震災をきっかけに、生き方が少し変わりました

それまで、何となく生きていた普通の毎日。震災で、直接の被害はありませんでしたが、毎日、今を大切に生きる方向に人生が変わりました。

①博多駅にいました

 九州新幹線全線開業の前日、翌日の新幹線一番列車の出発を撮影しようと、前日の3月11日、博多駅前のカプセルホテルに泊まりました。まず、博多駅に到着し、最後のリレーつばめの様子などを撮影していました。が、何か様子がおかしい。駅員さんも、大改正を前日に控えた雰囲気ではない。新幹線が異常なまでに遅れている…。当時はスマホも持っていませんでしたので、情報がありません。ホテルに行き、何かあったんですか?と訊くと、「東の方で大きな地震があった。もう1000人くらい亡くなっている。」

 テレビに映し出される、驚きの映像に唖然としました。

 翌日、九州新幹線は予定通り全線開業しました。しかし、予定されていた祝賀セレモニー等は一切中止。新幹線ホームも、人はまばらでした。新幹線の一番列車は、通常運転のように発車していきました。しっかり撮影はしましたが。その後、熊本まで新幹線に乗車する予定でしたが、熊本まで行ってしまうと、熊本から大牟田までの路線がストップしていて帰れなくなるので、予定を変更し、久留米まで九州新幹線N700系に初乗車して帰りました。

②あまりの被害の大きさに驚愕

 それから、テレビから流れてくる、日々の被害の状況、巨大な津波、原発の緊迫した事故の様子。九州に住んでいるので、直接の被害はありませんが、恐ろしくなってしまいます。被災地の避難所は寒そう。恐怖と悲しみに暮れる人たち。何もしてあげられない自分が歯痒くて仕方ありませんでした。

③何かできることはないか

 そんな自分に、できることはないのか?とりあえず、郵便局へ行き、わずかながら、当時できる精一杯の金額で、義援金を送りました。

 当時、直接の被害に遭ったわけではないのに風評被害によって、大打撃を受けている観光地がたくさんあることを知りました。ならばと、少し落ち着いて来た頃を見計らって、東日本に旅行に出かけました。

 まず、群馬県の水上温泉へ。お目当てはSLみなかみ号です。当時、大型の蒸気機関車が、復活を遂げたばかりでした。超有名な撮影スポットには、大勢のカメラマンが集結していましたが、皆さん親切でした。「九州から来たの?すごいね」「せっかく遠くから来たなら、場所を空けてあげるから、いい場所で撮りなよ」「磐越西線も良いから、ぜひ行って」

 宿の人も温かくもてなしてくださいました。線路がよく見える部屋が空いていたので、特別に入らせて頂いて、そこから撮影もできました。

 そんな体験をして、更に旅を続けました。ばんえつ物語号を撮りに、福島県・喜多方へ。音楽を聴きに、新潟県・妙高高原に。広島のフラワーフェスティバルでPerfumeを間近で見たり。

 こんなに楽しいことで世界が溢れていたのは知りませんでした。それからも旅は続けました。

日々を大切に生きる

 何でもない毎日でも、今しかできないことを、精一杯やる。今を楽しむ。明日はどうなるか解らない。

 「明日死んでも大丈夫なように、今日できることは今日全部やりなさい。」

 父の遺した言葉を改めてかみしめ、今日も、これからも、大切に生きていきます。

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